お女中の冒険

丸伍

 丸伍は女中や小僧を派遣する女中置屋だ。
 ある時秋築屋という米問屋から、女中を一人、半年の契約で欲しいと言われた。
 なんでも海向こうの大きな問屋がこっちでも商売を始めたが、雇った女中が来れなくなったので急いでいるとのことで、うちが受けなければすぐによその店に頼むと言う。けっこういい給金を提示されたので、丸伍の中でも評判の良い都子を派遣することにした。
 都子は今年十七歳になる。少々太り気味だが性格は明るく、また賢く、なかなか器量も良い。教育係の於福に、掃除、洗濯、飯炊き等、しっかり鍛えられており、過去の派遣先でも評判良く、また雇いたいと言われるほどだ。
 それが都子が逃げ出したとかで、秋築屋の番頭が怒鳴り込んできた。
「契約が違うじゃないか!」
 番頭はいきりたっている。都子が奉公し始めてからまだ二十日ほどしか経っていない。秋築屋は代わりの女中を寄越せと言う。
 丸伍の番頭台に座っていた主人の伍平は、寝耳に水の出来事に一瞬狼狽えたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「都子はこちらに帰っておりません。それに何か不都合があったという連絡もありません。失礼ですが、秋築屋さんで何が…」
「うちが女を拐かしたってのかい?まったく!碌でもない女中寄越しやがって偉そうに言いやがる!」
 そう言って番頭は懐から紙のような物を取り出すと、伍平に投げつけた。それはひらひらと舞い、土間に落ちた。
「置き手紙置いて出て行きやがったんだよ!あのクソ女!」
 伍平はゆらりと立ち上がった。伍平は一見、中肉中背の目立たない地味な男だ。人の良さそうな顔が、今は困惑した表情になっている。
 伍平は土間に落ちたそれを拾った。
 封筒だった。ただ封はされておらず、表書きも裏書きも無い。
 封筒から四つに折った紙を取り出し、開く。鉛筆で書かれた、見覚えのある都子の文字だった。勝手に出ていく事を詫びる内容の文章が書いてあり、文末には都子の姓名が記されていた。が、文章はぎごちなく、文字も所々乱れている。都子はとても丁寧な文字を書く。
 そして、文頭と文末の横の不自然な位置に、落書きのような線がいくつか書き込まれていた。
 裏返すと懐中時計の絵と東時計店の文字、そして新装開店と印刷してある。どうやらこの紙は東時計店のチラシのようだ。最近時計屋の主人が夜逃げをして、その時計屋が都会の誰それの手に渡った、という噂があったのを伍平は思い出した。
「これは…東時計店のチラシですね。そして、この裏に都子が書き付けを…」
 伍平の声音は静かだった。が、愛想良い表情は消え、射貫くような目で番頭を見た。番頭は一瞬たじろいで、おおよ、と一言だけ答えた。
「どういう経緯でこうなったのか、説明してはいただけませんか?」
 伍平はなおも丁寧な口調で尋ねる。
「う…うるせー!説明してほしいのはこっちだってんだ!時計屋に使いに出したら帰って来やしねぇ!」
「ほほぉ…。では都子は東時計店でいなくなったってことですかい?」
「…おおよ…」
「ではあなたは、ここに来る前に東時計店に行かれたと言うことで?」
「あっちから怒鳴り込んで来たのよ!女中がいなくなったってな!さっさと代わりの女中を…」
「ん?うちは秋築屋さんに都子を派遣しましたが、東時計店には派遣してはおりませんが?」
「う…うちが雇った使用人だ!時計屋の旦那が女中が足りねぇって言うから…ちょっとの期間行かせただけ…」
「契約が違いますねぇ、秋築屋さん。うちは、あんたんとこに大事な使用人を派遣したんだ。おう!あんたはちゃんとうちに娘を帰す義務があるだろうが!」
 伍平が激高して叫んだ。番頭は狼狽えた。
「な!…な、何を!紡績工場でも女工がよく逃げ出してるって話じゃねぇか!それにお前んとこの使用人はみんな孤児なんだろう?そんな奴等なんとでも…」
「おい!於福さん!来てくれ!」
 伍平が奥に声を掛けた。
「どうしたね?伍平さん?」
 奥から現れたのは、人の良さそうな中年女だった。人好きのする笑顔で前掛けで手を拭いている。が、その背丈は大柄な男と変わりが無いほど大きく、胸も腹もふくよかだ。
「手鏡を貸してくれねぇか?」
「手鏡?ああ」
 於福は懐から小さい丸い手鏡を取り出し、伍平に渡した。
 伍平は手鏡を都子からの詫び状に当てた。
 タスケテ
 鏡に文字が映る。
 不自然な位置に書かれていた線は、鏡文字だった。
 タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ
 文頭と文末にそう書かれている。
「於福さん!丸伍に、今、誰がいる?」
「そうだねぇ…さっき薪割りの爺さんが帰ってきたし、志奈ちゃんと秋吉がいるねぇ。一体どうしたっていうんだい?」
「志奈子を双子の婆の所にやる。秋吉ははるを呼びに行かせる。於福さん、すまねぇ。都子が拐かされちまった。この男にいろいろ聞きたい事がある。逃げねぇようにふん縛ってくれねぇかい?」
 於福の顔色が変わった。
 そして、その体型からは想像できないほどの素早さで土間に駆け下りると入り口の戸を閉め、閂を掛けた。
 さらに、身を翻して逃げ出そうとした番頭の首根っこを掴むと、空中に吊り上げた。於福は女相撲で横綱を張ったこともある女丈夫だ。
「な!な!な!何をしやがる!」
 空中で暴れる男を睨みながら、伍平は腕組みして呻いた。
「…面倒な事になりそうだ…。ち、俺としたことが…」

 丸伍には部署が二つある。
 一つはごく普通の奉公先に派遣する部署、もう一つは荒事や胡散臭い件に派遣される部署だ。
 はるは胡散臭い方の担当だった。
 海端の飯場で飯炊き女を雇いたいとのことで、はるは赴いていた。そこは悪い噂の絶えない所で、一ヶ月きちんと勤め上げたにもかかわらず、給金を出し渋ったので、はるが一暴れして取り立てたところだった。
「次からうちを使う時は先払いにしてもらうからね」
「くそが…」
 はるに投げ飛ばされて肩で息をしているガタイのいい男が毒づいた。
 はるはおもむろにその男に近づき、周りでへばっている他の男達に聞こえないような小声で耳打ちした。
「…あんたが金を持ち逃げしようとしてたことは、黙っててやるからさ…」
 男の顔色が変わった。
「…ここはすんなりと帰してもらえないかい?」
 はるは薄く笑って男を見る。
 その男の背後には五人のみすぼらしい老人がいて、この男の悪行を言い立てているのだ。
 この現場の責任者という立場を利用して、皆の給金を掠め取り、貯まった金を隠していると。
 その声は、はるの他には聞こえていないし、その姿が見える者もいない。
 はるには、普通の人間が見えないモノの姿を視たりその声を聞いたりする能力がある。
「わ…わかった…。もう、お前は帰れ」
 男が言った。
「待てよ!佐吉の兄貴!それじゃあ…」
「もういいだろう!これ以上、ここをボロボロにされるわけにゃいかねぇだろ!」
 飯場は椅子も卓も壊され、その間に鍋や割れた茶碗が散乱している。
「だってよう…!」
 はるにしたたか打ちのめされて地面に伸されているが、若い男は気が収まらないらしい。
 はるはその若い男に近づき、しゃがみ込むと、またそっと耳打ちした。
「…女に逃げられて気が立ってるんだろうけど、大人しくしてくれたら女の居場所、教えるよ?」
 若い男の顔色が変わった。
「じゃあ、私は帰らせてもらおうかな!」
 はるは立ち上がり、ぐるりを見渡して声を上げた。
「ま!まて!お兼がどこにいるっていうんだ」
 若い男が叫んだ。
 はるは右手を挙げると、部屋の隅で小さくなっている小柄な男を指差した。
「松居の旦那の家に居るよ」
 そう言ってはるは飯場を出た。
 背後で若い男が、どういうことだ!と叫びながら小柄な男に詰め寄っていた。小柄な男が何か言い訳しているのが聞こえたが、はるにはどうでも良いことなので、そのまま丸伍に向かって歩き出した。

 峠にさしかかった時、向こうから誰かが走ってくるのが見えた。
 小柄な少年。
 丸伍で一緒に働く、秋吉だった。
「はる!」
 秋吉が叫んだ!
「たいへんだ!都子がいなくなった!」
「え?何?」
「みゃこが!いなく!なった!」
 息を切らして秋吉が言う。
「はるは!はやく!帰って!オレ!息がととのったら!帰るから!はぁ…」
「分かった!」
 地面に座り込んだ秋吉を残して、はるは走り出した。
 はるも秋吉も、特別な呼吸法を身につけていた。
 一瞬で普段の何倍もの力を出せたり、普通の人間より長時間走れたり、一時的に跳躍力を高めたり出来る。
 丸伍の”胡散臭い担当”の者は、皆、孤児か家庭の事情で家に帰れない者達だ。”特別”な能力を持ち、また荒事も多いことから、日頃から気力も体力も鍛えている。
 はるは飛ぶように走り、丸伍に帰った。

 丸伍は街外れの御祓川を渡った所にある。
 周囲に家は無く、その屋敷の背後は鎮守様のこんもりした小山がそびえている。
 丸伍の表の入り口は固く閉められ、どうやら閂も掛けられているらしい。
 はるは戸口を叩いた。
「帰ったよ!誰かいるんでしょ?開けて!」
 閂を上げる気配がして、戸が開き、硬い表情の於福が現れた。
「早かったね。はる」
「何があったの?」
「まぁ、入んな!」
 奥から声が飛んだ。伍平の声だ。
 はるがするりと中に入ると、すかさず於福が戸口を閉め閂を掛ける。
 丸伍の広い土間の中央に、見慣れない男が一人、縛り上げられうなだれていた。
「誰だい?こいつ」
 はるが尋ねる。
 土間から上がった床の上には丸伍の主立った連中が集まっていたが、誰も答えない。皆一様に沈んだ表情をしている。
「まずは、皆に謝らなけりゃならねぇ。すまん」
 そう言って伍平が頭を下げた。
「都子を派遣したのは偽問屋で、悪質な手配師の連中だったようだ。俺の調べが行き届かず、都子を危ない目に遭わせてしまったみてぇだ。悪いが、皆で都子を助けてやってくれねぇか」
「頭を上げとくれ、伍平さん。あんたは悪くないよ。あたしらはあんたのおかげで…」
 硬い表情の於福が、口を開いた。
「違う違う!こいつが悪い!このバカもんが!」
 そう言って腰の曲がった小さな老婆が、持っていた杖で伍平を撲った。
「痛い!痛い!勘弁してくれ!」
 伍平は手を上げて、体や頭に杖が当たる前に、その杖の動きに合わせ楽々と打撃を受ける。言葉の割りに痛くはなさそうだ。
「まぁまぁ峠の婆、落ち着いて。都子が危ないんだろう?」
 杖を振るっている老婆と顔も姿もそっくりの老婆が、落ち着いた声でなだめる。月詠みの婆と呼ばれている盲目の琵琶弾きで、峠の婆とは双子の姉妹だ。
「ああ!都子を遣る前に、儂の見立てを受けておれば、こんな事にはならんかったのに!」
 峠の婆は怒りが治まらないらしく、まだ杖を振り回している。
「すまん!すまんかった!峠の婆!皆に眞白の夢の見立ての話をしてやってくれ!」
 伍平が頼んだ。
 まったく!とぶつぶつ言いながらも峠の婆は話し始めた。

 峠の婆には見立ての才がある。
 誰かが見た夢や事物から、現在や未来の隠された状況を推し量る能力だ。その才を生かして相談屋を営んでいる。
 丸伍は元々、峠の婆が相談先の問題を解決する為に作った組織だ。
 眞白というのは峠の婆の世話をする一五あまりの娘だ。勘が鋭く、感情の起伏が激しいのを実の両親が持て余し、売り飛ばされたが、そこでも騒動を起こし、相談された峠の婆が引き取ったのだ。
 眞白の鋭い感覚は峠の婆に磨かれ、しばしば予知夢やお告げ的な夢を見て、峠の婆の見立ての役に立つようになっていた。
「一月ほど前、眞白が洪水の夢を見た。御祓川が氾濫し、ここらが流されてしまったと。儂は凶事があると見て、伍平に仕事を受ける時は注意しろと助言したはずじゃ」
「面目ねぇ…。高額の給金に目がくらんで焦ってしまった…」
「まったく!このぼんくらが!まぁ、いい。ここ最近続けざまに眞白が同じ夢を見るそうじゃ。朱い夢だったそうじゃな?」
 峠の婆が言うと、白い顔を更に白くして眞白が頷いた。小さい体を縮こまらせて峠の婆の後に隠れるようにしている。おそらく見慣れない秋築屋の番頭を恐れているのだろう。
「朱い夢じゃと。あたりは夕刻のように朱く、空中を小鳥のようなモノが飛び交っているんじゃと。だが飛んでいるそれは、小鳥ではなく数字だった。そうじゃな?眞白?」
「…うん」
「自分で言えるか?他の者もそれで何か気付くかもしれんから、夢の話をしてやってほしいんじゃが?」
 峠の婆が優しい声で言う。眞白は小さい声で言った。
「…鳥が…小鳥が、こわいこわいって子供の声で言うの。小鳥が近づいてきて、でもそれは小鳥じゃなくて、五っていう数字だったの。周りに飛んでいるの、みんな、三とか七とか、みんな数字だったの。数字はぐるって、丸い円を描いて飛んで…それから、こわいかおのお地蔵様がいて…大きい声で…お前は柱に入ってろ…って叫ぶ…」
「柱?」
「…うん…」
 その時土間に座らされた番頭が、小さく…え?と呟いたのを真後ろにいたはるが気付いた。
「こいつ、何か知ってるらしいよ!」
 そう言って後から番頭の襟首を掴む。番頭が、ひっ、と小さく悲鳴を上げた。
「ほぉ!」
 伍平が土間に降りてきて、今度は前から番頭の襟首を掴んだ。後も前も信じられない強い力で締め上げられ、番頭はさらに悲鳴を上げた。
「や!やめてくれ!」
「眞白の夢で、お前に心当たりがあるんなら話してもらおうか。言っとくが、俺等は都子を助ける為なら手段を選ばねぇぜ」
 伍平の声と力で、番頭は覚悟したようだった。

『柱に入っていろ!』
 そう時計屋の主人は言ったそうだ。
 柱とは、柱時計のことだ。時計店の中にある一番巨大な柱時計。しかしそれは隠し部屋への入り口らしい。
 都子は東時計店で海向こうの紡績工場で働かないかと持ちかけられたそうだ。
 都子は、自分は丸伍でお世話になっているからとそれを断ったが、脅されて行くことにしたらしい。その時、詫び状を書くと。その方が自分がいなくなっても怪しまれないだろうと時計屋の連中に言ったそうだ。
「…お…おれも、連中の事、詳しくは知らねぇんだ。あいつらに雇われたのも、ここ一ヶ月くらいだし、最近この街に来たばかりで…」
「そうだよねぇ」
 はるが口を挟んだ。
 番頭の背後には、番頭と同じ顔をした無気力な男がサイコロをしきりに振っている。どうやらこの男は生き霊を垂れ流しにするほど、サイコロ賭博にはまっているらしい。その横では女二人が男に恨み言を言い続けている。
「博打で借金こさえて高飛びでもした口だろ?女に恨まれて、そうだねぇ、一人や二人、死んでいるとかね?」
 番頭がぎょっとした顔ではるを見る。
 はるは涼しい顔で、一般論だよ、と続けた。
 伍平は、何が一般論だ、とは思ったが、はるが何かを見たのだろうと分かったので、番頭に追い打ちを掛けた。
「あんたも出るとこ出ればホコリの立つ体なんだろ?俺達は都子を返してもらえればそれでいい。あんたには協力してもらう」
「え?ええ?おおおお前等!…おおお俺を…きょきょきょ脅迫しようってのか?」
 番頭が、恐怖が張り付いた顔で、それでも目一杯虚勢を張って声を上げた。
 はるは男の正面にしゃがむと、顔を近づけた。そして、その脅えた目を見ながら
「そうだよ」
 と言った。

 番頭に案内させて時計屋に向かった。
 はると伍平だ。
「申し訳ない!うちの使用人が迷惑かけちまって!」
 伍平は時計屋に入ると、すぐそう言って頭を下げた。
 時計屋の主人は五十がらみの人の良い顔をした男だった。初めて見る顔だ。男は品の良い洋服を身に着け、胸ポケットには懐中時計の鎖が見えている。
「いやいや頭を上げてくださいよ、丸伍さん」
 男は言った。
 伍平は、うちとしても都子の行方を捜さないといけないから、都子がいなくなった時のことを詳しく教えて欲しいと言い、都子の代わりにこのはるを女中として働かせてくれ、と頼んだ。
 いや、まぁ、うちは丸伍さんではなくて秋築屋さんから派遣を受けたので云々と時計屋の主人は言ったが、伍平はかまわず
「何グズグズやってんだ!」
 と、はるを怒鳴りつけた。
「早く奥へ行って台所仕事でもしてこい!」
 はるは一瞬飛び上がり、おろおろしながら、すいませんすいませんと繰り返し、奥へ入っていく。
「あ!待ってくれ!女中さん!そっちには行かなくていいから!」
「いいえ!伍平さんの言いつけですから!」
 はるは答えると、あっという間に時計店の奥に走り込んだ。
「あ!待て!」
 はるを追おうとした時計屋の主人の手を、伍平が掴んだ。
「すいませんねぇ、東さん。あの都子を引き受ける時、田舎の両親にまとまった金を渡しているんですわ」
「だったら、金はその親御さんに返してもらえばいいだろう。うちは関係な…」
「金だけじゃないんですわ。うちは預かった女子供をちゃんと教育して働かせて、親御さんに戻すと約束してましてね。それを反故にするわけにはいかんのですわ。ねぇ、教えてくださいよ。東さん。詳しい事を」
 手を掴んだ伍平の力がきつくなり、顔がどんどん剣呑になっていく。時計屋の主人も、ここにきて何かおかしいと感づいたようだ。
「お前…なんのつもりでここに来やがった!」
「都子を返してもらいに来たんだよ」
 言うと、伍平は掴んだ時計屋の主人の腕を軽くひねり、跪かせた。
「痛い!何をするんだ!こんな事をして!ただじゃおかないぞ!おい!道造!警吏を呼んでこい!」
 入り口で突っ立ったままの番頭に怒鳴った。
「あんた、逃げた方がいいんじゃないのかい?」
 伍平が言った。
「え?」
「何を言っている!」
「あんたは人を脅すのに慣れていない素人だ。大方こいつらに弱み握られて働かされているんだろうけど、悪党は素人を容赦なく潰すぜ」
「…ひぃ」
「道造!俺達を裏切ったら…!うぉっ!」
「どうするってんだい?それにな。警吏はうちのモンが呼びに行ってるから安心しな」
 伍平がニヤリと笑って、さらに腕をねじり上げた。

 はるは時計店の奥に入り込み、大きな柱時計を置いてある部屋を捜す。
 突き当たりに、天井以外壁や柱や床、至る所に大小様々な時計を置いた広い部屋を見つけた。時計の迷路のようだ。
 はるがその部屋に入ると、奥からタチの悪そうな顔をした三人の男が現れた。
「なんだ?お前は?」
「あ!あのぉ、今日からぁ、こちらで働かせてもらう事になりましたぁ、はると申しますぅ」
 しおらしい声ではるは言い、ぴょこんと頭を下げた。
 男達は顔を見合わせた。
「おい、お前、聞いてるか?」
「いや、オレは聞いてねぇ」
「ふうん?」
「あのぉ、お台所はどこですかぁ?」
 はるは小首をかしげて尋ねる。
「ああ、台所は向こうの廊下の…」
 その時入り口の方から、時計屋の主人の声がした。
「痛い!何をするんだ!」
「なんだ?」
 男達の意識が玄関に向かった。
 はるは一瞬息を止め。吐く。一気に息を吸い、右手で拳を作ると一瞬にして手前の男に近づいた。
「お台所は?」
 言いながら鳩尾に拳をめり込ませる。
「おごぉ!」
 声にならない声を発して男は倒れる。
「こっち?」
 はるはひらりと身を翻し、その後にいた男の急所を膝で蹴り上げた。
「ぬぉ!」
「ですかぁ?」
 さらに体を回転させながら高く振り上げた足で、最後の男の顎先を蹴り上げた。男は声も無く背中から倒れた。
 はるは急いで大時計を捜す。
『こっち』
 誰かがはるの着物の端を掴み、きゅっと引っ張った。
 視ると、口をへの字にした子供が横にいた。左腕が無い。子供は右手を伸ばして奥を指し、消えた。
 はるは奥に走った。
 この部屋は広いとはいえ、床に直置きされた大きな柱時計が無数置かれ、行く手を阻み、どこに向かっているのか分からなくなる。
『こっち』
 横の時計の向こうから子供の声がした。女の子のようだ。時計と時計の隙間から小さい手が伸びて、おいでおいでをする。
「どっちから行けばいいの!」
 はるが叫んだ。
『こっち』
 後で声がする。さっきの曲がり角で女の子が一つの時計を指差し、消える。
 はるは急いで戻ると、指差された時計を押してみた。その時計は下に細工がしてあるらしく、楽に動く。はるは現れた細い通路を進む。
『こっち』
 三つに別れた通路で、右手の方から声がして、はるは走った。
 正面に、巨大な柱時計が見えた。
 巨大な文字盤。しかし針も振り子も動いていない。
 はるは振り子の入っている部分の扉を開けた。中は暗い。手探りで奥を探るが平たい板しか触れない。
『したをおして』
 真下から声がして、視ると、踞った子供がはるを見上げていた。
「下に何があるの?」
 子供は消えた。
「あぁ…くそ!」
 はるは小さく独り言ち、這いつくばって時計の下を探る。
 遠くで何か騒ぎが起こったのか、男達の声が聞こえた。さっきの三人の男が目を覚ましたのかもしれない。眠り薬を嗅がしておけば良かったと、はるは一瞬後悔したが、すぐに聞き慣れた於福の咆哮が聞こえたので、安堵とともに苦笑した。丸伍の連中が来てくれたようだ。そして、切れた於福を止められる者はいない。さっきの男達はもっと酷い目に合わされるに違いない。
 時計の下を探る。何も見つからない。
「…くそ」
 はるは焦るが、中は板のままだ。巨大な振り子がぶら下がったままなので、探りにくいことこの上ない。振り子の下の円盤を握り、押す。  と、いきなり奥の壁が抜けた。
「下って!これかよ!」
 はるは叫びながらも、時計の奥に飛び込んだ。

 朱い部屋だった。
 一面、朱いビロードの張られた床。昔は客人をもてなす客間か何かだったのか、凝った作りの椅子や卓が無造作においてある。見上げると、天井には赤い色ガラスが嵌めてあり、差し込む光自体が赤いのだ。
「はる!」
 部屋の奥から都子の声がした。
 赤い光の届かない部屋の暗がりに、都子と見知らぬ少女が二人、抱き合うように踞っていた。
「ごめん!遅くなった!」
 はるは駆け寄った。
 都子は涙の溜まった顔で、ううん、と首を振った。
「明日、私達、連れて行かれるところだったの…」
 細い声で都子が言う。
「昨日まで…小さい子供達も何人かいたんだけど…連れて行かれちゃった…」
「そうか…。あ、今、みんなが来てくれ…」
 はるの言葉が終わらないうちに、はるが入ってきた隠し通路の向こうから物凄い破壊音と叫び声が聞こえてきた。
「はる!都子!どこだい!」
 於福の声だ。
「ここにいる!都子も無事だよ!」
 はるが答える。
「どこにいるんだよぉぉぉぉぉぉ!」
 於福が絶叫する。そして続く破壊音。
 入り口の分からない於福が、おそらく全ての時計をぶっ壊しながら近づいてきているのだろうとはるは思った。
 
 東時計店と米問屋の秋築屋は、タチの悪い口入れ屋が創った表向きの偽店舗だった。荒らしまくった都会でやりづらくなり、地方に流れてきたようだ。県警でも情報は聞いていたが、詳細は分からなかったそうだ。
 県警の松重巡査は、丸伍を訪れ、そのような説明をした。
「ありがとうございます。松重の旦那」
 そう言って、伍平は角袖巡査の松重にお茶と和菓子と封筒に入った謝礼の金を渡した。
 そばで見ていた秋吉が、あれ?お礼はこの前、オレが呼びに行った時に渡したよ、と言ったのを、伍平は小さくゲンコツで黙らせた。
「すいませんねぇ、気の利かねぇヤツで」
「まぁ、いいさ。おい、秋坊、これをやるからあっちに行きな」
 そう言って松重巡査は、出された和菓子を秋吉に渡した。
「わぁい!」
 歓声を上げて秋吉はそれを掴み、奥の部屋に引っ込んだ。
「旦那ぁ。面倒おかけますが、これで於福が壊した時計の事は…なんとか…」
「まったく…ひでぇもんだったぜ、あれは」
 松重が苦笑する。
「へぇ」
 伍平も苦笑した。あの広い部屋の時計という時計が壊され、瓦礫になっていたのを伍平も見ている。
「元々の東時計店の店主の出奔も、どうやらあの連中の仕業のようだ。おそらく生きてはいないだろう」
「…」
「あの時計は、おまえらが来る前から壊されていた…そういう事にしといてやるよ」
「すみません」
 伍平は頭を下げた。
「都子はどうしたんだい?」
「へぇ。ここにいるのも辛いでしょうし、親元に帰させました。縁談話があったらしいんですけど、この一件で怪しくなったようで…可哀想な事をしました…」
「そうだな。若い女が拐かされて、傷モンにされていないとも限らねぇからな」
「なんとか良い縁談に恵まれれば良いんですが…」
「そうだな…」
 松重巡査はそう言ってお茶を口に運んだ。

 はるが丸伍の裏で片付けをしていると、背後で藪ががさがさと音がした。
 はるはそっちを見もせずに声をかける。
「あんた、ちゃんと逃げなくていいのかい?」
 すると、藪から秋築屋の番頭だった道造が姿を現した。
「勘がいいんだな、あんた」
「まぁね」
「なぁ。あんた…何かヘンなモノ、視える人なんだろ?」
「何のことだい?」
「おれのことを博打うちで女二人が死んでるって言ったろ?」
「ああ。あれ。適当に言っただけだよ。ちんけな人攫いの片棒担いでるやつなんざ、なにかしら後ろ暗い事をしてるもんだ」
「…おれはさ、博打で借金つくって…女房を売り飛ばしたんだ…お母はその後すぐ、死んじまった…」
「…」
「なぁ…ほんとに、女房は死んでいるのか?」
 はるは顔をしかめた。
「知らないよ。知りたいなら捜しゃいいだろ」
「売り飛ばした先の遊郭にはもういなかったんだ…。別の店に行ったって聞いて…そこにも行ったけど…」
「だから!私は知らないって!」
 男の背後で男を罵っていた二人の女が、ぴたりと黙ってはるを見た。この前まで引きずっていた男自身の生き霊は見えない。
「死んでるにしても生きてるにしても、あんた自身が捜すほかはないよ」
 はるは丸伍の裏木戸を開けると中に入る。
「働いて…金を貯めて…捜してやんなよ。生きてるかも知れないからさ」
 そう言って裏木戸を閉めた。

Copyright(C)2017 是意亜天 All rights reserved.初出 月夜飛行vol.26+16 2017年6月発行
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