みじかいはなし

「押入」

 慶一叔父が帰ってきた。
 布団を敷こうと押入を開けたら、上の段の畳んだ布団の上に、窮屈そうに座っていた。
「…慶一さん?」
「しっ!」
 思わず出た声に、慶一叔父は右手の人差し指を立てて唇に当て、僕の言葉を制した。
「姉さんに聞こえたら面倒だからね」
 慶一叔父はささやき声でそう言う。だから僕も小さな声で尋ねた。
「どうしたの?」
「帰るところがないからさぁ」
 慶一叔父は、いつものあやふやな笑みを浮かべてそう言う。
 そういえば、奥さんの美枝さんとは、しょっちゅう喧嘩をしていたことを思い出した。喧嘩と言っても一方的にまくし立てる美枝さんに、あやふやな困ったような顔でそれを聞いているだけだったけれど。
 だからと言って、何年も前に出て行った実家の押入に来ることもないだろうとも思う。
「しばらく…いいだろう?」
「まぁ…いいですけど」
 そう答えると慶一叔父は嬉しそうに笑った。

 僕にとって慶一叔父がいることに不都合はない。
 宿題を教えてもらったり、教科書には書いていないことなんかも教えてもらえるし、とても便利だ。
 慶一叔父は押入の上の段に座って、僕の質問にとても丁寧に答えてくれる。僕はその日から叔父さんの為に布団を押入に仕舞わない事にした。
 食事はどうしようかと尋ねたが、押入の前にコップ一杯の水を置いておけばいいと言われたので、その通りにした。

「慶一さんさ、何かして欲しいこととかあるんじゃないの?」
 数日して、僕は尋ねた。奥さんの美枝さんの事とか娘の美咲ちゃんの事とか知りたいのではないかと思ったのだ。
「ん〜、そういうのはいいんだ」
「そうなの?」
「そうなの」
 でもそう言った慶一さんは少し寂しそうだった。

 その日、美枝さんと美咲ちゃんを招待して美咲ちゃんの誕生日祝いをする事にした。
 以前は、クリスマスや正月、家族全員の誕生日など、しょっちゅう皆で集まって祝っていた。慶一叔父が家を買って出て行ってからは、することもなくなっていた。
 可愛いケーキを買って、ロウソクを7本立てた。ハッピーバースデーの歌を大騒ぎして歌った。
 帰り際、美枝さんに昔慶一さんがいた部屋を見たいと言われたので、今は僕の部屋になっている部屋に案内した。
 押入の戸は閉めてある。
 壁の古い傷は慶一さんが作った棚の跡だとか、置いたままにしてあるギターは慶一さんが買って一週間しか練習しなかったらしいとか、たわいない話をした。
「おかあさーん!帰るよー!」
下で美咲ちゃんが呼んでいる。
「はーい!今下りるよー!じゃあ帰るね」
 答えた後、呟くように美枝さんが言った。
「…私が悪かったのかな…」
 押入の戸がかたんと鳴った。

 美枝さんと美咲ちゃんを見送って部屋に戻って押し入れを開けたら、慶一叔父はいなかった。
 僕は少し寂しかったけど、良かったと思った。
 明日から布団は押入に仕舞う事が出来る。
Copyright(C)2017 是意亜天 All rights reserved.初出 月夜飛行2004年6月発行  改訂 2017年4月
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