鮮烈なる炎の盾より放たれる光すらも

第十話

 美しい裸身を晒して、大魔女は宙で高笑った。
 壊れた天井を背に、その艶やかな膚は自ら光を発するように高慢と紙一重の美しさで輝いていた。
 マヒンサはきりきりと歯噛みして大魔女を睨んだ。
『笑えないようにしてやる!』
 もはやレリーフでしかないマヒンサが吠えるように詠唱する。
 詠唱は恐ろしいエネルギーを宙に産み、金色の光を纏って空を走った。魔法の稲妻は光の刃になり、大魔女に斬りかかる。
 大魔女オクンナハリは微動だにせずそれを受けた。
 美しい裸身に黒焦げの傷が走り、醜く引きつった蚯蚓腫れがその身体を飾る。
 マヒンサの口元が、更にきりきりと歪んだ。
「師匠!」
 一瞬にして笑みを無くしたルー・クーンシーが絶叫した。
「これでは師匠の身体が痛んでしまいます!」
『かまわん!すべて壊せ!』
「すべて?」
『アレは既に私では無い!』
 狂ったようにマヒンサが詠唱を繰り返した。
 稲妻、炎、氷、あらゆる攻撃魔法が大魔女を襲う。
 大魔女は笑いながらその全ての攻撃を受けた。
 たちまち大魔女の身体は黒焦げの炭の塊となった。
 ただ笑う大魔女の顔だけが変わらぬ美しい相貌で、宙にあった。
『何故だ!何故当たらぬ!』
 マヒンサが喘いだ。
「分からぬか!」
 大魔女が一喝した。
 ぬうと大魔女が迫った。
 一瞬だけ大魔女の顔がマヒンサの顔すれすれに現れ、蔑った。
「お前が憎しみで一杯だからだよ」
 一瞬後、大魔女は遙か宙空で嘲笑った。
「お前は憎しみで狙いも定まらぬ愚か者だからだよ」
「私が行きます!」
 ルー・クーンシーが篭手を外した。
『何をする!ルー・クーンシー!』
「そこで見ていてください!師匠!」
 ルー・クーンシーは篭手を床に置くと、一人で大魔女に対峙した。
「これはこれは勇者殿」
 大魔女が甘い声で囁いた。
「美しく愚かな妾の勇者」
「私は確かに一度あなたに忠誠を誓った!」
 勇者は静かに詠唱した。
 勇者の目の前に氷の塊が階段状に現れた。勇者はそれを駆け上り、あっという間に宙空に浮く大魔女に迫っていた。
 覚えたばかりの氷の魔法と、それを空間に配置する魔法を駆使している事にマヒンサは驚愕したが、大魔女はうっとりした眼差しでそれを一瞥しただけだった。
「しかし!今はあなたを討つ為にここにいる!」
 ルー・クーンシーが叫んだ。
「どうかな?勇者ルー・クーンシー。記憶を持たない美しい勇者よ」
 ルー・クーンシーの魔竜の剣が宙を舞い大魔女に迫るが、大魔女はそれを余裕で避けた。
 ルー・クーンシーは一度バランスを崩し足下の氷から落ちかけたが、瞬時に足下に氷が浮き、その身体を支える。
「お前は一度ならず、何度も妾に忠誠を誓い、裏切り、狂い、そして沈黙したのだ!覚えてはおらぬのだろう?」
 大魔女は勝ち誇った声で言い放つ。
「何を仰っているのか分かりませんな!」
 勇者ルー・クーンシーは体勢を整え、大魔女を睨んだ。
「そう!覚えておらぬのだ!お前は!!全て!何もかも!」
 大魔女が甘美な笑みを浮かべた。
「お前の悲しみは、ここにある」
 美しく輝く青い宝石を黒焦げの指で摘んで、空にかざした。
「勇者ルー・クーンシー」
 うっとりとした声で大魔女は謡うように言う。
「お前は愛する母を覚えているか?その美しさを覚えているか?そして、その愛する母に殺された事を覚えているか?」
 甘美な笑みを浮かべて大魔女がルー・クーンシーに問うた。
「何を言っている?」
 ルー・クーンシーは美しい眉をひそめた。
「お前の記憶は全て妾の手の内にある。そう、この石はお前の、全ての、歓び悲しみ憎しみ何もかもの結晶だ!お前が得た術も何もかも、妾の手の中にあるのだよ!」
 大魔女は勇者を見た。
「素晴らしいよ!勇者ルー・クーンシー!お前は何度全てを無くしても、何度でも妾に刃向かってくる!何度でも、魔法も剣術も覚え直して妾に立ち向かってくる!そして妾は」
 うっとりと大魔女は言った。
「何度でもそれを奪うのだ」
「戯れ言はそこまでですな!」
 勇者ルー・クーンシーは誇り高く言い放ち、素早く炎の詠唱を唱えた。
 勇者ルー・クーンシーの傍らに炎が現れ、それは炎の球になり、大魔女を狙って飛んだ。
 大魔女は無造作に腕を払い、炎を薙いだ。が、炎はまるで意思が有るモノのようにその腕を避けて回り込み、その頬をかすめた。
 大魔女の頬に一筋の火傷の跡が走る。
「なん…だと!」
 大魔女が驚愕の表情を浮かべた。
 ルー・クーンシーは誇らしげに言い放つ。
「焦げてしまっているとはいえ元は師匠のお身体。その師匠のお身体を傷つける訳にはいきませんからな!」
「愚か者めが!」
 大魔女が激高して腕を振るった。黒い腕が振られる度いくつも火の玉が浮き、それはルー・クーンシーを目がけて空を走った。ルー・クーンシーは剣を振るいそれを切りつける。魔剣はたやすく魔の炎を叩き潰し、その魔力を喰らうように吸い込んだ。
「ばかな!お前は!」
「ふははははは!」
 ルー・クーンシーは高笑った。
「見てくれていますか!師匠!私が実力を出せばこんなモノですよ!」
『調子に乗るな!スカポンタン!ちゃんと前見て戦え!』
 床に置かれたマヒンサがジタバタしながら叫ぶ。篭手自体ががたがた動き、音を立てた。
「おお!師匠!動けるのですか!」
『前見ろ!前!』
 大魔女の発した雷がルー・クーンシーを撃つ。
「ぐはっ!」
 ルー・クーンシーは弾き飛ばされ、広間に並んだ石像の一つに激突して床に転がった。が、雷は魔剣が吸い込んでしまい、ルー・クーンシー自身には当たっていない。
「あだだだだだ!」
『調子になるからだ!愚か者!』
 広間の向こうで頭をさすっているルー・クーンシーにマヒンサが怒鳴った。
「うをっ!」
 雷が再びルー・クーンシーを襲い、今度は背後の石像に当たり石像を砕いた。バラバラになった石像の欠片がルー・クーンシーに降り注ぎ、砕けなかった頭部がごろんとルー・クーンシーの目の前に転がった。
「お?王?」
 その顔には覚えがあった。
 現王のハズミヤミ三世に似ている。大魔女に実権を全て握られてはいるが、王族として何度か謁見したことがある。それにしても細部まで細かく表現されている。苦悶に歪んだ顔は恐怖で溢れ、今にも叫び出しそうだ。それにしても何故このような表情の石像を作ったのか?とルー・クーンシーが思った時、その顔に一瞬精気が戻り、その口が動いた。
「おぉぉぉぉぉぉお許しくださぃぃぃぃぃぃぃ!オクンナハリ様ぁぁぁぁぁ!」
 雷がその顔を直撃し、叫びと共に粉々に砕いた。
「い…今の…は?」
『呆けるな!ルー・クーンシー!』
 雷が足下の床を撃ち、火花が散った。ルー・クーンシーは立ち上がり、大魔女を見上げた。
「どういうことだ!大魔女!」
「ふん!役立たずはいらないからね!王族は魔力だけは高いから石にして妾の魔力の糧にしてやっているのだよ!お前も再び石にしてやる!今度はもう二度と動けぬようにな!おう!そうだ!お前の素晴らしい魔力を全て吸い尽くしてやろうぞ!」
 大魔女が口を歪めて嗤い、ふうっと下に降りたかと思うと、石像の一つに手を掛けた。
「これはハズミヤミ一世だ。傍系だが妾に協力するというので王にしてやったのだ。最後は妾の中で生きるが良い!」
 石像が一瞬、人に戻り、叫んだ。
「悪魔め!」
 しかしその叫びも、その身体から溢れた魔力も精気も何もかも、大魔女に吸い込まれた。石像は色を無くし、灰色の欠片になって粉々に散った。
「馬鹿め。妾は悪魔ではない。妾は妾ぞ」
 二階の窓が割れ、外から魔師テブラが飛び込んできた。
「オ…オクンナハリ様!申し訳…ありません…力が…力が…もう一度…力を!」
 魔力を使い果たした魔師テブラはふらふらと立ち上がり、大魔女に手を伸ばした。
 大魔女は一瞥し、ふいっとテブラの元に飛んだ。
「オ…オクンナハリ様!あ…ありが…」
 大魔女が手を伸ばして魔師テブラの頭を掴んだ。
「お?ああああああ!オクンナハリ様ぁああ!」
 魔師テブラは絶叫し、そしてだらんと腕を垂らした。見る間に干からびていき、大魔女が手を離すとかさりと軽い音をさせて床に落ちた。
「役立たずはいらぬのだよ。さてと、もう少し食事をしようかね」
「させん!」
 ルー・クーンシーが走った。優雅な螺旋を描くように二階に続く階段を駆け上り、途中から空に飛んだ。氷の塊が宙に現れ、ルー・クーンシーはそれを蹴って、たちまち大魔女に迫っていた。振り下ろす剣を大魔女が腕で受けようとした時、ルー・クーンシーが叫んだ。
「赦す!」
 魔剣の柄が竜の腕を取り戻し、伸びた。鱗だらけのその腕は大きく空を湾曲しながらも、大魔女の顔に振り下ろされた。
「ぎやぁぁぁ!」
 竜の爪が大魔女の顔に突き刺さった。ジュッと音がして、竜の爪が焦げ、腕は大魔女から離れた。大魔女がもんどり打って広間の床に落ちる。
「戻れ!」
 魔剣は元に戻り、ルー・クーンシーも床に飛び降りた。
「許さぬ!許さぬぞ!ルー・クーンシー!」
 床に転がった大魔女は四つん這いになり、呻いた。片手を自分の顔にやると、滑らかだった肌にざらつきがある。美しかった顔には、黒い穴が四つ開いていた。
「許さぬ!」
 激高して大魔女が跳ね起き、空に飛んだ。広間を囲むように屹立した石像の一つに手を掛ける。青く美しい女性の石像だ。女性は跪き、両手で誰かを抱くように胸の前で組み、愁いを含んだ表情で空を見上げている。口元は何か言いたげに僅かに開いていた。が、ルー・クーンシーは、その顔に覚えは無い。
「これはお前の母親だ!生まれつき魔力が強すぎて、心が壊れてしまったお前の母親だ!子供のお前を殺さずにはいられなかったお前の母親だ!」
 大魔女が力を込めると石像が一瞬、精気を取り戻した。口元がほころび、それは柔らかい笑みを浮かべ、優しい声で囁いた。
「この花はベニイロフウコウ。我等の祖国にたくさん咲いていたのよ。我等の祖国の花。あの花をお前にも見せたかったわ。私の愛しい…」
 石像は砕けた。
 ルー・クーンシーは息を呑んだ。胸が痛かった。しかし母親だと言われても何も思い出せない。言葉に表せない痛みだけが胸にあった。ベニイロフウコウは遙か昔に絶えてしまった伝説の花で、今はどこにも咲いていない。
「おおおおお!何という魔力!」
 石像から溢れた魔力を吸った大魔女の身体が内側から輝いた。身体を覆っていた黒い炭が剥がれ落ち、元の美しい裸身が現れた。顔に開いた穴もまた、見る間に塞がっていった。
 ルー・クーンシーが魔剣を握り、身構えた。
 大魔女が美しく狂った笑顔でルー・クーンシーを見た。
「お前は何も感じぬのであろう?母が死んでも悲しむこともできんのだろう?喜べ!今!それを戻してやる!」
 その手には再び青い宝石が握られている。
 マヒンサは壁や天井やここにある物達の記憶を見た。勇者は何度も大魔女に石にされ、記憶を奪われて蘇らされ、大魔女の手先として働かされ、最後は母親に殺された記憶を戻され、狂うのだ。死のうとして死ねず、そしてまた石に戻される。
「お前の悲しみはここにある」
 再び大魔女は言った。
「これをお前に返してやろう」
『止めろ!』
 素早くマヒンサが稲妻を呼ぶ詠唱を唱える。空に現れた稲妻は違わず大魔女の手を撃った。青い宝石はその手を離れ空に飛んだ。
「おおっと!」
 勇者はそれを剣で薙ぎ払った。魔剣は宝石を粉々に砕いた。宝石の欠片が雪片のように降り落ち、マヒンサに降り注いだ。
 マヒンサの脳裏に、暗い部屋の映像が映る。
 美しい異国の姫君。石像と同じ顔をした。姫君はにっこりと美しい微笑みで子守歌を歌いながら、涙を流して、刀を振りかざしている。おそらく、ルー・クーンシーが殺された時の記憶。
『おおう!』
 マヒンサは自分の身体に刃を立てられたように鋭い痛みと熱を感じて吠えた。
「愚か者め!お前は自身の記憶を破壊したのだぞ!」
 大魔女が叫んだ。
「かまいません」
 勇者は美しい笑みを浮かべた。
「今ある記憶が、今の私の全てですから!」
 からからと大魔女が嗤う。
「今の記憶だと?お前は今や、ただの石像にしか過ぎないのだよ!今すぐそれに戻してやろう!」
 今度はからからと勇者が嗤った。
「戻す?愚かな!戻すものなどありはしません!今ある記憶が私の全てであると云いましたぞ!」
 広間の外に通じる扉が大きくしなった。
 外から騎士達の怒声が響く。
「開けろ!早く!」
「壊せ!」
 扉が燃え上がり、騎士達が転がり込んできた。その中には騎士ラトロノースと騎士エリエもいた。
「ルー・クーンシー!何故!お前がここにいる!」
 騎士ラトロノースが叫んだ。
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