デビルサマナー

「金の匂いがする案件だよ」
 いつものようにふらりと事務所に現れたマリーが言った。
 守銭奴のマリーが言うのだからソレは確実だろうが、まだ解決していない案件がある。
「無理だな。この前のマンションの件が片付いてない」
 今事務所にいるのは、その件に使う道具を取りに来ただけだ。
「そっちみたいに、すぐに生き死にに関わるわけじゃないみたいだしさ。考えておくれよ」
 なおもマリーは言う。
「こっちの言い値で出そうなんて、今時いないよ?」
 振り返ると、マリーは出て行こうというそぶりすら見せず、そこにいる。
 絶対に受けさせようとしているのが見て取れる。
「無理だ」
 一瞥して宣言する。
 しかしマリーはなおも言いつのった。
「あんたが一度に複数の仕事を受けないのは知ってるよ。でもこの案件は受けて損は無いと思うよ。祟る人形なんだって。どうやらクズノハ由来の人形らしいよ」
 振り返る。マリーがニヤリと笑った。
「気になるだろう?」
 言いぐさが気にくわない。
「この件が終わったら連絡する」
「まぁ、そう言わず。とにかく返事が早く欲しいんだとさ。依頼主は元華族の実業家。そうだねぇ明日か明後日、なるべく早く、ここに顔を出しておくれよ」
 そう言ってマリーは、机に小さい紙を置くと、やっと出て行った。
 近寄りそれを手に取る。名刺だった。光風製薬。光風径也。知っている名だ。
 名刺を内ポケットに入れて、事務所から一升瓶と傘に見せかけた日本刀を持って外に出た。
「キョウジ!」
 声がして振り向くとレイ・レイホウが立っていた。
「おかえり!早いわね」
「いや、道具を取りに来ただけだ。これからが本番だ」
「ふうん。じゃあ、奴から話が聞けたんだ」
「ああ」
「ほんとに私の力は要らないの?」
「大丈夫だ。それに、あそこには行きたくないんじゃなかったのか?」
「仕事だったらちゃんとやるわよ!」
 言い訳を聞き飛ばし歩き出す。背後でレイ・レイホウが肩をすくめたのが分かった。あいつにかまっている暇は無い。
 急いで市中の高級マンションに向かった。
 既に19時を過ぎている。辺りは暗い。見上げると窓には明かりが灯り、留守宅もあるだろうが入居者はほぼ7割といったところか。このところの騒動で退居した者もいるらしい。
 まだ新しいマンションは、中央に美麗な中庭を配し、それを東南北と、コの字型に囲むような構造になっている。
 問題はその中庭にあった。
 ここらは昔大名屋敷があったとかで、庭はその名残だ。庭には井戸があったが、涸れ井戸で使われてはいない。埋めてもいないが、その上に東屋風の建て屋を作り、そこに井戸があることは分からないようになっていた。
 そのマンションで怪異が始まったのが2ヶ月前だ。東棟の下層階から赤い水が出るようになり、水槽タンクやら水道業者らで調べたが異変は見つからず、そのうち赤い水は止まったが、蛇口から声が聞こえるようになった。異変は徐々に他の棟にも、さらに上層階にも広がり、通路や窓外に人影や異形の影が走るとか噂されるようになり、子供が脅えるようになった。上層階から何者かが飛び降りる影が何度も目撃され、警察沙汰になったこともある。
 そして、このマンションのオーナーに脅迫状めいた物が届き、脅えたオーナーがマリーに依頼したという訳だ。
 そのマンションを調べ始めたのが1ヶ月前。怪異の原因が中庭の古井戸にあることを突き止めたのがその2週間後。その翌日井戸を浚い、その底から髑髏が出てきた。数日後それを投げ入れた男を突き止め、その男に接触できたのが昨日。そして、ついさっき、その男の口を割らせたのだ。それが本当か調べる必要がある。早急に。
 マンションの東棟上階の部屋に入る。このフロアには2部屋しか無い。1部屋はどこかの企業の社長が家族と入っていたが、例の怪異に恐れをなして引っ越してしまった。
 影はこの階から飛び降りるのだ。
 この広いフロアの住人はたった一人になってしまった。
 ドアを開けると、部屋の奥からヒステリックな女の声が響いた。
「誰!」
「俺だ」
 答えると、ほとんど下着のような格好の若い女が現れた。このフロアに残ったただ一人の住人だ。目を吊り上げ、般若のような形相でまくし立てる。
「どこ行ってたのよ!私を護るって言ったじゃないの!」
 綺麗な女だった。追い詰められれば、大抵どんな美貌の女でも醜悪になるものだが、不思議なことにこの女にはそれがない。整のった美貌のままだ。神経病みでしょっちゅう問題を起こすこの女を、ここのオーナーが手放さないのは、それが理由かもしれない。
「必要な物がいると言っていただろう」
「そんなもの!誰かに取りに行かせれば良いじゃない!この前の!あの生意気な女に!」
 先日一緒に来たレイ・レイホウの事を言っているのだろう。
「あいつはもうここには来ないとさ」
 荒ぶる女を無視して部屋に入る。
 酷い有様だった。
 見た目は変わらないが淀んだ空気がそこかしこに立ち込め、特に中央にある水場、トイレや風呂のある一帯に怖気が走るような濃度で陰の気が凝り固まっている。
 それに惹かれて、低級霊だの下級悪魔など、有象無象が集まってきていた。
 さっきここを出る時に綺麗に祓っていたのに、短時間であっという間に淀む。陰の気のせいばかりではなく、この女自身もそういうモノを引き寄せる体質ではあるが、状況はさらに悪くなっている。
 舌打ちする。
 急がないと、この女は確実に、死ぬ。
「部屋に入ってろ。アレを出すぞ。見たくないんだろ?」
「な!なんでここでやらなきゃいけないのよ!」
「外でやってもいいが、俺はここにいないといけないんだろ?」
 からかうように言う。
「だって!それは!あんなもの!」
 この女には悪魔や霊的なモノが見えるのだ。この前来た時に出した悪魔を見て失神している。下級のモノはしょっちゅう見えているが、オレが喚び出す強い力のモノは段違いにオソロシイらしい。
 女は何かを必死に言いつのるがじりじりと後退し、この室内で一番中庭から遠い和室に入り、障子戸を大きな音をさせて閉めた。オーナーが趣味で作った茶室だ。障子戸にはお札やお守りなどが無数ぶら下がり、閉めた勢いで何個か床に落ちてしまった。効果は無いと何度言っても、女はそれをぶら下げるのを止めない。
 メゾネットタイプのこの室の広いリビングダイニングには2階に繋がる螺旋階段があり、2階部分は1階のリビングダイニングを見下ろせるように吹き抜けになっている。その分、天井が高い。バルコニーに面したサッシ戸を開け放つと、中庭が見下ろせた。夜には照明で飾られる洒落た庭園は、今は閉鎖され暗く沈んでいる。東屋の中央にある古井戸からここまで、目には見えないが気の経路が通っているのだ。
 陰の気。井戸の底で澱のように淀んでいたモノが、マンション中の住人のネガティブな意識を集めるように伴って、この部屋に流れ込んでいる。
 懐から布に包んだ小さな髑髏を取り出して、簡易な祭壇に乗せる。
 中庭の井戸の底から掘り出した物だ。
 人の物ではない。何か小動物の頭部だが、呪術が施されている。一見古そうに細工されているが、そう古いモノでは無いのは調べがついていた。
 コンプを起動し、小さな悪魔を喚び、命じてそれの口に手を入れさせた。
 じゅ。
 と音がして、悪魔がぎゃっと鳴いて消えた。
 同時に、この部屋に流れ込んでいた陰の気が、ふつりと途絶えた。中庭からここまで伸びていた気の流れは、束ねていた糸がほつれるように、はらはらと散らばり空中に霧散した。
『やれやれ』
 髑髏が言った。
『解いたのかい』
「ああ。死をもってこれを解く。女が死なないと術が解けないと、オーナーの爺さんに思い込ませたかったんだろうが、人間でも人外でも死は死だからな。お前を井戸に放り込んだ男が吐いたよ、死ぬのは誰でも構わないってな。あの建築会社の社長に、そんな呪術を施すように仕向けたのはお前だろう?」
『なんだ、そこまで調べていたのか』
「お前の目的はなんだ?」
『あいつらがおれを祀らなくなったからさ!あいつらに祟ってやったのさ!』
「もっともらしいこと言うんだな」
 鼻で笑う。
『なんだと?』
「お前が井戸の主なんかじゃないことはとっくに分かっている。それに、気の流れが2つあることもな。一つは陰の気をこの部屋に流れさせるモノだ。周りの陰の気を呼び込み、住人を精神的に追い詰める。もう一つは陽の気を吸い取るモノだ。陽の気の経路は井戸の水脈を通ってこのマンションを建てた建築会社に通じていた。ここのオーナーの運を吸い取って財を掠め取っていたんだろ?この部屋の女も、元はあの建築会社の社長の馴染みのホステスだったそうじゃないか。寝取った男と心変わりした女の両方に復讐しつつ、富をいただいていたってわけだ」
『ははははは!』
「入れ知恵をつけた奴は誰だ?素人にできる術じゃない。お前を操っているのは誰だ?」
『ははっはは!』
 傘の形の入れ物から日本刀を取り出し、鯉口を切る。それを戻すとカチリと金属音が響く。その音に、無数にいる低級なモノ達が怯んで姿を消した。妖の者を切ってきたこの刀は、妖が畏れる気配を纏っている。
 しかし髑髏に畏れる様子は無い。
『ははははは!』
 上顎を揺らして高笑う。
 もとより、これぐらいで対処できるタマでは無いことは分かっている。さらに刀で脅すか仲魔で脅すか考え、コンプから魔を滅する仏の化身を喚んだ。部屋一杯にその巨体が満ちる。吹き抜けの高い天井にも達する頭部から、鋭い眼光と憤怒の表情で睨んでくる。たちまち残っていた魑魅魍魎は消え去った。
「言え」
 言葉と同時に仏の化身の巨大な手が髑髏を掴んだ。
「言わなければ、潰す」
 その大きな手の平からめらめらと炎が発せられたのが見える。
『ははははははははは!』
 笑いと共に、髑髏が爆ぜた。
「くそ!」
 瞬間的に仲魔がかばい、床に投げ出されたが事無きを得た。
「なに!何があったの!」
 女が転ぶように部屋を飛び出てきた。さっきの衝撃でちょっとした地震のようにマンションが揺れたのだ。
「ひ!」
 天井を突くほどの巨体を見て女が卒倒した。
 床に倒れた女の体には、薄紫の影が纏わり付いていた。心なしか麝香の香りがする。この女は、何か分からないが深い業を背負っているのだろう。
 外から人声がする。見れば中庭に面したマンションの窓が一斉に開けられ、不安げな住人が窓越しに何事か話し合っていた。
 いきなり、玄関の扉が開いた。オーナーの老人だった。上の階から走ってきたのだろう。息を切らしてはいるが、確か今年73才になるはずだが、そうは思わせないほどの勢いだ。
「何があった!」
 床に倒れた半裸の女を見て顔色を変えた。
「華に何をした!」
「何も。勝手に倒れただけだ」
 女に纏わり付いていた薄紫の影が細く伸びた。それは触手のように老人に触れる。その干からびた体を確認するように何度か触れた後、一気に影が老人を包んだ。女もまたこの老人から運やら陽の気やらを吸い取っているようだが、今回の依頼とは関係ないので放っておく。
「片付いた。元の呪いは取り除いたから、徐々に怪異は収まるだろうよ。もっとも、きちんと後処理しないと元の木阿弥になるがな」
 老人は倒れた女を抱き起こし、しっかりしろなどと声をかけている。
 舌打ちする。
「おい!そいつは死んじゃいない。それより、俺の話を聞け。明日一番に井戸を清めてやるから、ちゃんとした業者に頼んで井戸を浚え。あの井戸は涸れてない。きちんと整備すれば水は戻る。昔のように水を使ってやるといい。飲み水には使えないかもしれないが、中庭の植物の水遣りには使えるだろう。あるべきように使ってやれば、今回のように罠に使われることは無い」
「井戸なんかより華が…」
 イライラする。
「では死ね」
「なんだと!」
「俺はお前が死にたくないというので依頼を受けた。俺の指図が聞けないなら、終わりだ」
「さ…さっき片付いたと言ったじゃないか!」
「言っておくが、今回の元、が終わっただけだ。元凶はお前の過去にある。お前がどうやって財を成したのか想像はつく。これからもこんな事は何度もあるぞ。俺はその回数を減らしてやろうと言っているんだ」
 老人は黙った。
「いいか、明日、遅くても昼過ぎには業者を入れろ。呪いの元を破壊してあるから一時的に気の流れは遮断できているが、一度出来た経路はそう簡単には消えん。俺は明日、完全にそれを断ってやるから、物理的にもそれを塞ぐ必要があるんだ」
「…わかった」
「俺はこれから明日の準備をする。それから、その女、早く服でも着せてやれ。風邪ひくぞ」
 老人が慌てて部屋の奥に何かを探しに走った。
「その前に戸を閉めてやればいいだろうに」
 言葉だけ残して、風の吹き込むその部屋を後にした。

「おい」
 声をかける。
 マンションを出て近くの公園に来ている。公園はホームレスの溜まり場になっていて、ここは新参者が固まっている一角だ。
 ブルーシートをテント代わりにしたその中から声がした。
「…おお」
 中からごそごそ音がして、小汚い男がいざるように出てきた。顔に新しい傷がある。
「どうした?」
「…ホームレス狩りにやられた…あんたの悪魔に助けられた…。若い学生みたいだった…でも、あいつらはM建設の雇われだろう」
「M建設?あんたの元の会社だろうが」
 男が自嘲的に嗤う。
「今では邪魔者なんだろうよ」
 この男は例のマンションを作った建設会社の元社長だ。井戸に髑髏を放り込んだ本人でもある。会社はしばらく前に部下に乗っ取られて、借金だけ負わされここまで落ちぶれている。
「命まで狙われているとはよほどの事だな」
「いろいろ知っているからな。それより、終わったのかい?」
「ああ。とりあえず一段階は進んだ。後処理にまだしばらくかかるがな」
「そうか…」
「2人とも憔悴して酷い精神状態だ。復讐して溜飲は下がったかい?」
 男は力なく頭を振った。
「そこまであいつらを憎んじゃいなかったさ。まさかあんな事になるなんてな…」
「お前を唆した男というのはどんな奴だったんだ?」
「それが…よく覚えていないんだ…。ある日突然現れて…。あの頃は確かにあの二人を殺したいくらいには思っていたんだろう…」
「まぁ、その感情を上手く利用されてしまったんだな。…それで、これからどうするんだ?いつまでもその悪魔をあんたに憑けとくわけにはいかないからな。こいつに気力を吸い取られて死にかねん」
 言いながらコンプに餓鬼を喚び戻す。
「…どっちにしろ死ぬんなら…それでもいいがな…」
 男は俯き、力なく呟いた。
「…矢来銀座は知っているか?」
「…ああ、知っている。あの辺りは、仕事で行ったことがある」
「そうか。あの商店街を出た所に、地下水道に入れる場所がある。いつもは締め切っているが、しばらくの間そこに入れるようにしておいてやるから、中に隠れていたらどうだ?」
 男が目をしばたかせて見上げてきた。
「なんで…」
「あんたはいろいろ知ってそうだし、これからもいろいろ調べる能力もありそうだ。悪魔も恐れない」
「いやいや!」
 男は頭を振る。
「怖ろしいさ!」
「それがいいのさ。あんたは怖いことを分かっているが、むやみに恐れない。…これを持っておくと良い」
 内ポケットから、小さな守り刀を取り出した。
「本物の日本刀から作った物だ。少々の悪魔やら悪意やらから護ってくれる」
「…いいのかい?」
「ああ。もちろんさ。そのかわり、色々働いてもらうことになる」
「分かった…」
「そうだ。約束の物だ」
 ぶら下げてきた一升瓶を渡す。
「おお!」
「それを飲んだら出発するんだな」
 男が頭を振った。
「いや。新しい寝座でゆっくり飲むとしよう」
「ま。それがいいだろうな。気をつけて行けよ」
 男は一升瓶を握るとゆっくり歩き出した。

 マンションにとって返し、中庭の井戸の周りに術を施す。
 地下に流れ出していた陽の気の流れも止めた。
 元凶の奴らがどう出てくるか分からないが、これに触れた者に付着する仕掛けをつけた。何者かがここに様子を見に来れば、そいつを追うことも出来るだろう。
 見上げる。
 真上に満月がある。真夜中を過ぎた頃か。ポケットの名刺を取り出す。
「早く返事が欲しいとか言ってやがったな…」
 その場で電話をかけた。その番号は記憶の底にある。名刺の番号ではない。
 3コールで、ヤツは出た。
「キョウジか?」
「なんだ。起きていたのか」
「卦が出ていたからな。お前からの連絡とは分からなかったが」
「ち。卜占なんかやりやがって」
「来るのか?」
「ああ。これから行く」
「なら、車をやろう」
「俺が今どこにいるのか分かっているのか?」
「市ノ窪のマンションだろう?」
「気にいらねぇな」
 相手は笑うと電話を切った。
 
 ものの数分で黒い車がマンションの前に止まった。
 運転席の硝子窓が開き、表情も分からない程帽子を目深に被った男が声をかけてきた。
「葛葉キョウジさんですか?」
「ああ」
 答えると、後部座席のドアが開いた。
「どうぞ。お乗りください」
 後部座席に滑り込むとドアが閉まり、車は静かに走り出す。
「どこに行くんだ?」
 尋ねると、運転手は
「ご実家の方にご案内せよとのことです」
 と答えた。車は郊外に向かった。

 街灯の間隔が広くなり、やがてほとんど無くなった。
 暗い道を走り、やがて白壁に囲まれた大きな屋敷の前に出た。
 車のヘッドライトが大きな門を照らし、その前にいる男の姿を照らし出した。
 車がエンジンを止めライトを消してしまうと、そこらは一瞬闇に包まれたが、すぐに満月の光に照らされ薄明るいことに気付いた。
 車を出ると、門の前の男が右手を挙げ、呼ぶ。
「悪いな」
「ふん」
「こっちだ」
 男は門をくぐり、導くように先を歩き出した。
 飛び石が続く通路を行く。敷地内だというのに、通路の両横は木々が生い茂り、虫の音がひっきりなしに聞こえてくる。
「お前…こんな所に住んでいるのか?」
「いや。ここは両親が住んでいる家だ。私も今来たところだ」
「言っておくが、仕事を受けるかは決めていないぞ」
「分かっている」
 左手に屋敷があるのは分かったが、そこには入らず、更に奥をめざす。木々が途切れ少し広くなっているところに、白壁の土蔵が建っているのが見えた。土蔵の空気穴のような小さな窓から明かりが漏れている。
「誰かいるのか?」
「…」
 男は土蔵の重い扉を開けた。
「息子の継也だ」
 促され、中を見る。
「!」
 土蔵の中は、快適に生活できるように手を加えられていた。外は幾分涼しいが、中は暖房で春のように暖かだ。電灯で明るく照らされた部屋の中央には大きな椅子があり、その椅子に小さな子供が座っていた。肩口が大きく開いた、不自然な服を着せられた子供。
「…おとうさん」
 呟くような小さな子供の声が聞こえる。
 しかし、子供の口は動いていない。代わりに、子供の肩口に生えた人形の首の口が動いているのだ。
「…そのひとが…ぼくを…たすけてくれるの?」
 人形が言った。
 文楽人形のように、口が縦にかたかたと動く。
 黒曜石のような黒い瞳に黒髪をおかっぱに切り揃えたこの人形を、俺はよく知っている。これは首しか無いが、元々その首の下の体には、白い死に装束が着せられていたはずだ。
 クズノハが、止ん事無い方々の身を守る為に使う身代わり人形だ。呪いなどを受けた時に、その方々の代わりに呪いを受け粉々に砕かれ埋められる為の。
「誰の呪いを受けた?」
「分からん」
「分からんわけがないだろう!」
 我知らず声が荒くなってしまう。子供の無残な姿を見るのは不快極まりない。それは父親であるこの男の方が強いだろうが。
 男は奥に声をかけた。
「継也を寝かしつけてくれ」
 声で2人の女が出てきて、子供を促して奥に消えた。
「外に出よう」
 男が言った。
 土蔵の扉を閉めると、小窓から漏れていた灯も消えた。
 月明かりの下で二人で立ち尽くす。男が顔を上げ、月を見た。
「夏休みにここに来た時に、この倉に入り込んでしまったようなんだ。悲鳴を聞いて両親がここに来た時にはもうああなっていた」
 感情を殺した低い声で男が言う。
「あの呪いを解けというのか?」
「それもある」
「それも?」
「卜占をした。継也に死の卦は出ていない」
「良かったじゃないか」
「呪いを解くには、あの人形を壊さなければならないんだろう?」
「あたりまえだ」
「壊さないようにしてもらいたい」
「何を言っている?」
「人形を壊さず、継也も助けてもらいたい」
「お前…何を言っているのか分かっているのか?…いや…そうか。あの、人形…もう誰かの変わり身になっているんだな」
「…そうだ。ここで壊せば、その方に呪いが向かい…死ぬだろう…」
「いいじゃねぇか。そんなヤツ。殺しとけ」
「そうはいかん!」
 男が激高した。
「依頼主、というわけか」
「……」
 男は黙った。この男の一族もかつてはクズノハに属していた。同じ組織内ではあったが、俺の一族とは長い間宿敵のような関係でもあった。彼等は今は組織を離れ、表向きは大会社の取締役に名を連ねているが、金持ち相手に卜占や呪い返しのようなことを請け負っているのだ。今では、時折クズノハ、及び俺と対立することもある。
「いろいろ深く探ることになるぞ。お前の一族の事も、事によったら、その依頼主の事も」
「ああ」
「いいのか?かつての宿敵に、痛い腹も痛くもない腹も探られることになるぞ?」
「かまわん。各所にある蔵書倉も解放してやる。好きに使え。礼金も、あの女に渡す額以上を直接渡してもいい」
 男を見る。心は決まっているようだ。
 正直、礼金より、賀茂氏秘蔵の蔵書が拝めるのは願っても無いことだ。
「面白いな」
「なんだと!」
「お前がさ」
「……」
「昔のお前なら、どっちか即断で殺していたんじゃないのか?」
 依頼主か自分の息子か、と続けると、止めてくれと懇願された。
「では、受けてくれるんだな」
「ああ。受けてやる。お前にも協力してもらうぞ」
「…ああ」
「まずはあのマンションを片付けてからだがな」
「まだかかるのか?」
「いや、もう二,三日で終わるだろう」
「そうか」
「また連絡する」
「分かった…」
 男の視線を追って月を見る。隈の無い輝く月は、もう西に傾いていた。
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