冬の宴

朔日の客

 女中達は正月休みをもらって次々帰っていくのに、はるは一人玄田家に残されていた。
 祭り屋台の元締めをしている当主の玄田善右衛門は、毎年一月七日にある、冨有祭りの屋台の出店者で諍いが起き、急遽仲裁の為に留守にしていた。この広い屋敷に若い後妻の紗江子とはるはたった二人きり残されていた。
「さてと」
 はるは独りごちて、女中頭の喜与に託された和紙を広げた。
 喜与は玄田家に六十年あまり勤めている女中頭だ。当主善右衛門の乳母も務めていたとかで信任も厚いが、先日階段で転び、腰をしたたか打って療養中だ。十二年に一度の大事な客を迎えなければならない特別な正月だというのに。
 寝たきりの喜与の枕元にはるは呼び出され、それはそれはきつくきつく指示が言い渡され、この和紙を託された。
 和紙には細かく時系列で指示が書き込まれており、とりあえず、この指示に従っておけば問題ないらしい。屋敷内に何カ所かある小さい祠をどのような順番で何時に詣る、とか、玄関は酒と塩を混ぜた水で拭く、とか常にはない事が書かれてあった。
 既に掃除は終え、料理も膳に盛りつければ良い状態になっている。
 大晦日の夕刻になり、はるは外に出た。
 十二年ぶりだという大雪は既に止んでいた。
「なにゆえに」
 誰に言うこともなくはるは呟く。
「この夕刻に門を開くというのか」
 ぼやきながら大きな門を開け放つ。
 屋敷は漆喰の大きな塀に囲まれ、大きな正門と使用人らが使う西側の小さい門があるきりで、厳重な造りになっている。門を閉めてしまえば主のいない屋敷も安全だろうと思われるのに、明日、正月の朝まで大門を大きく開いておかなければならないというのだ。奇妙なのは、普通の正月で飾る物が一切無いことだ。大門には門松もない。
「ヘンな客が来なけりゃいいけどね…あーさぶさぶ」
 はるは大急ぎで屋敷内に戻った。

 後妻の紗江子に食事を出し、自身も台所で夕食を済ませた時、玄関の呼び鈴が鳴った。
 玄田家は貿易商も商っており、外国の商品も扱っている。屋敷は和洋折衷で、門は純和風だが建物の玄関は洋風で開き戸になっており、扉には鮮やかな色ガラスで作られたステンドグラスが嵌められている。入口にはボタンを押すとベルが鳴る仕掛けが有る。
 はるは、慌てて玄関に走った。
 扉を開けると外は既に暗く、玄関灯の届く狭い空間に商人風の着膨れた男が一人立っていた。
「八幡から来た鈴木といいます。あの…ご主人の、玄田善右衛門さんはいらっしゃいますか?」
 男は鳥打ち帽を脱ぐとそれをくしゃくしゃに掴んではるに言った。
「あいにく出ておりますが」
 伝えると男は狼狽した。
「あ、あの、商売のことで善右衛門様にご相談しておりまして、本日、お話を聞いていただくことになっていたんですが。七日の冨有祭りの屋台のことで焦っておりまして」
 善右衛門はまさにその祭り屋台の諍いの仲裁に出かけたのだ。
「今朝ほど、その祭りの件で出まして…」
 はるが告げると、あぁ、と男は苦渋に満ちた顔で嘆息した。
「入れ違いでしたか…」
「明日朝には帰ると思いますが」
「そうですか…」
「では、そういうことで」
 言うとはるは扉を閉めようとした。
「あ!ちょっと!ちょっと!」
 男が慌てて扉に手を掛ける。
 はるは眉を顰めて声を強くする。
「当主もおりませんし、出直しください!」
「申し訳ありませんが!一晩泊めていただけませんか!」
「は?」
「大雪で難儀しております!今夜だけ!今夜だけでいいですから!」
 男は必死で言いつのる。
「今夜が無理なんです!」
 はるも必死で応酬する。
「どうしました?」
 不意にはるの背後から声がして、後妻の紗江子が現れた。
「あ、奥様。こちらの鈴木様が突然旦那様を訪ねてこられて…」
 その時、突風が吹いた。
 止んでいた雪が降り始めたらしい。吹雪が積もった雪も巻き上げて、真っ白い風が扉の隙間から室内に吹き込んだ。
 はるが一瞬躊躇した隙に男は家に入り込んだ。
「ご迷惑なのは理解しておりますが、何卒!何卒!お願いします!」
「そうですね…。主人のお客様を無下にはできませんし。はる、お客様を客間にご案内してあげなさい」
「しかし、奥様、今夜は…」
「分かってます。はる。お客様、生憎、使用人達は正月休みで、このはるの他はおりません。お世話する者がおりませんので歓待はできませんが、それでよろしければ」
「けっこうです!けっこうです!今夜の宿さえお借り出来れば!」
 男は何度も頭を下げた。
「ただし、条件がございます。今夜一晩は、絶対客間から出ないでもらえますか?」
「は?はぁ…」
「それをお守りいただけるのなら…」
「大丈夫です!助かった…」
 安堵の息をつく男を置いて後妻の紗江子は家の奥に消えた。
 はるは小さく嘆息した。
「鈴木様。ではお部屋にご案内いたします。どうぞ」
 はるは男の荷物を持つと、促して玄関すぐの階段を上がり、二階の部屋に案内した。二階は階段を隔てて両側に三つずつ、合計六つの部屋があるようだった。
「全部…客間ですか?」
 一番奥の部屋に入りながら男が尋ねた。
「はい。旦那様は商売柄、会合が多いですし、このお屋敷で会合を開くこともあります。そういう時はお泊まりいただくこともありますから。あの…」
「はい?」
「先ほど言いましたように、このお屋敷には今は若奥様と私しかおりません。食事は私たちと同じものになります」
「分かってます!食事なんかいりませんから!あの…お茶さえいただければ!」
「いえ、お茶もお食事も私がこの部屋にお持ちします。部屋からは出ないようにお願いいたします。特に十時を過ぎてからは絶対に出ないようお願いいたします」
「…は…はい。わかりました」
「ぜったいにですよ」
 はるは語気を強めて言った。
「わ、わかりました!絶対出ません!」
「では、失礼します」
 はるは一礼して部屋を出た。

 これから和紙の指示書により、はるの仕事は分刻みに忙しくなる。
 突然の来客にはお茶と茶菓子、それから質素な食事を出し、くれぐれも部屋を出ないようさらに釘を刺し、後妻の紗江子にも今日最後のお茶を出し、自室に籠もれる準備をする。
 一番広い客間に一二の善を並べ、同じく一二の行灯に油を注ぎ何時でも火を灯せる準備をする。
 屋敷内の祠を決められた順番で廻り、蝋燭を立てていく。暗い屋敷内に小さい灯が外側から順に灯されていき、はるはそろそろ日が変わる時刻に、屋敷中央、当主善右衛門の部屋に向かった。
 暗く長い廊下を行灯を手に進む。
 前方に何者かの気配がある。
 しかし、それは指示書通りだ。
 当主の部屋に入ると、そこにも蝋燭を灯し、部屋は薄明るくなった。
 この正月の風情のない玄田の屋敷の中で唯一、正月らしい飾りがあった。
 朱塗りの丸盆に、十二支を模した金細工が縁取るように並んでいる。玄田家家宝のそれらは、正月にだけ飾られる。
 が、はるが昼間並べた時にあった、盆中央の金の茶碗が無くなっていた。黄金で作られたそれは、同じく黄金で作られた米粒が溢れんばかりに盛られていたはずだ。それが、無い。
 しかし、それも指示書通りだ。
 はるは気を引き締めて部屋を出た。
 これからが本番だ。
 玄田家は山の神の庇護を得て富を得ているという噂があった。おそらく今日は、その山の神を迎える日なのだ。はるはその神々の機嫌を損なわないように歓待しなければならない。
「…ずっと笑う事なんかできるのかねぇ」
 指示書には、酒をつぎ食事に気を配り、とにかく笑顔を絶やすな、としか書かれていない。
 部屋を出るとすぐ、例の大広間だ。はるは襖を開けた。
 男がいた。
「お客様!」
 はるが声を上げた。
「す…すいません!喉が渇いて台所を探していたらこんな所に…!」
 男が申し訳なさそうに言い訳したが、もう時間が無かった。
 はるはすばやく広間を廻り、行灯に灯を灯していく。
 大広間は一二の光で明るくなった。
「な!」
 男が絶句していた。
 それはそうだろう。誰もいないはずの屋敷の広間に十二人分の膳が並んでいるのだから。
「時間がありません」
 はるは言った。
「どういう…ことだ…?」
 男が絞り出すように言う。はるは答えた。
「お客様が来られます」
「え?」
「あなたではありません。もうすぐ、山から歳神様が降りて来られます」
 大広間の柱時計が刻を告げた。
「あなたには宴に参加して貰います。私達は彼等をもてなさねばなりません」
「はぁ?何言ってやがる!そんなことはこの家の連中がすることだろうがぁ!」
 男が被っていた猫を振り捨て、ドスのきいた声をあげたが、はるは臆しなかった。
「この家の者かどうは関係ありません。今、この場にいる者の勤めですから」
「なんだとぉ!」
 男ははるの腕を掴み上げ、ようとした、が、はるの手はそれより早く拳を握り男の鳩尾に叩き込んだ。
「早く逃げなかったあなたの過ちです。諦めなさい」
「う!ご…」
 男は膝から落ちた。
「来られました」
 はるは静かに言った。
 遠くから足音が聞こえた。ずるずると引きずるような重い足音、ひたひたと湿った足音、かさかさした軽い足音、いくつもの足音が重なった音が近づいてくる。
 しかし、声は聞こえない。
「笑ってください」
 はるは言った。
「は?何言ってるんだお前…」
「ここからは私の指示に従ってください。でなければ、あなたの命の保証はしかねます」
 はるは男の隣に、すっと座った。
「目を伏せてください。お客様を目の端に捕らえることはかまいませんが、まともに見ることは止めてください。それだけで不敬ですから、おそらくあなたは死ぬことになります」
「な!」
 襖が開いた。背中に怖気が走った。人外に慣れたはるにも恐怖が走る。伏せた視野に、着物の裾からはみ出す獣毛の生えた足が見えた。鋭い爪が畳を噛み音を立てる。
 これは歳神様などでは無い。
 おそらくは、山の、祟り神。玄田家が富を約束されたのは厄神だ。
「コレを食べなさい」
 はるは小声でそう言いながら懐から干した茸を取り出し、男の手に渡した。
「笑い茸を干した物です。正気を保ちたいなら食べなさい」
 男の手が震えていた。
 はるも意を決してその乾いた物を口に入れた。これは最後の手段だったはずだ。出だしが最後の手段になるとは思いもしなかった。
「女中ヨ」
 最奥、上座に座った何者かが言った。
「我等ノ他ノ、ソノ客人ハ誰ゾ」
 はるは平伏したまま言った。
「これは旅の幇間でございます。皆々様をお喜びさせようと志願した者です」
「なにぃ」
 小さく声を上げた男を肘で思い切り突く。
「う」
 男が呻いた。
「死にたくなかったらこの場を盛り上げるんだよ!」
「な、何を言っている!お前!」
「この異常事態はわかっているんだろ?死ぬよ、あんた」
 男は息を呑んだ。とりあえず、この場の危険は分かっているようだ。
「幇間がこれから腹踊りをやります」
 はるが告げると、広間中から喜びの声が上がった。鋭い金切り声、低い地響きのような声、それらが合わさって身体全体を圧する。同時に生臭い臭いが立ち込め、吐き気をもよおした。
 はるは立ち上がると懐から手拭いを出し、それで男の顔に目隠しした。
「お客人を見たら死ぬからね」
 言いながら男を立たせ、着物をはだけ上半身を露わにさせた。重い革袋が畳に落ちる。はるは気にもとめず、広間の隅に置いてあった筆壺から筆を取ると、男の腹にへのへのもへじを書いた。
 それだけで、また、どっと声が上がった。
 はるは男の手を取り、広間中央に引っ張り出す。
「ま!待て!お前!」
 男が追うのを軽くいなし、はるは広間の隅に退散する。
 男が慌てふためいて、転んだ。
 笑い声が上がる。
 男は必死で立ち上がり、あがき、転ぶ。その度に気味悪い笑い声が上がるのだった。
 はるは伏せた目で客人の杯を確認し、酒を注いで回る。
 不意にはるは、笑いたい衝動に駆られた。茸の成分が回ってきたらしい。妙に楽しい気分になり、目の端で追う酒の杯が上げられ飲み干されるのを、今か今かと待ち構えるほどになっていた。
「ははっはははっはははは!」
 男が笑い声を上げた。
 男にも茸の成分が効いてきたらしい。
「こんな目に遭うんだったら来なかった!」
 男が笑いながら叫んだ。笑い声が上がる。
「あのクソ女に騙された!」
 笑い声が囃し立てる。
「正月には誰もいなくなるから盗り放題だと言いやがったんだ!あいつが!」
 やんややんやと声が上がる。
「あいつが悪いんだ!俺じゃねぇ!」
 笑い声が続く。
「あの時もそうだ!俺は殺したくなかったのに、あいつが唆しやがったんだ!」
 どっと笑い声が起こった。
「子供二人くらい簡単だってよぉ!はっははははははは!」
 男は過去の悪行を大声で叫びながら狂ったようにあがき、笑う。広間中の笑い声が男の身体に絡みつくようにまとわりつく。
「おごぉ!」
 不意に男が昏倒した。魔祓い師用に作った薬は、男には強すぎたらしい。
 この日一番の歓声が上がった。
「善イ余興デアッタ!当主ニ伝エヨ!富ハ約束サレタ、トナ!」
 上座の主がそう言ったとたん、一斉に行灯の灯が消えた。
 同時に広間の時計が鳴り、はるの仕事は終わった。

 広間を綺麗に片付け、何事もなかったように清めた。
 小柄な男だったが、さすがにはるの手には余ったのでそのままにしておいた。
 朝になり、朝食を持って後妻の部屋に赴く。
 後妻の紗江子は既に起きていて、なぜか外出の支度をしていた。
「あ、はる。実家の父が倒れたと連絡があったの。すぐに出るから食事はいらないわ」
「でも、ご主人様がもうすぐお帰りに…」
「はるから伝えておいて」
 紗江子は美麗な着物に身を包んでいた。碧玉の帯留めに金襴の帯。全て善右衛門の母の形見の品だ。確か、女学校の寄宿舎に入っている娘の碧が受け継ぐことになっていたはずだ。
「あのぉ…」
 はるが何か言おうとすると、癇癪を起こしたように叫んだ。
「あなたは私の言うことを聞いてたらいいの!女中風情が!」
「はぁ…」
 ま、いいか、とはるは引き下がった。
 これも指示書通りだ。
 後妻の部屋を出ると、窓から、雪の上の足跡が門の外まで続いているのが見えた。
 昨夜の男が目を覚まして退散したのだろう。
「まー、私の代わりに盛り上げてくれたからいいか」
 はるは呟いた。

 玄田善右衛門が屋敷に戻ったのは昼前だった。
 玄関で出迎え、荷物を持って奥の部屋まで付き従う。
 部屋に入ると、朱塗り盆に飾られた十二支の細工のうち、金椀の他、鼠の金細工も無くなっているのに気付いた。
「あれ?」
「どうした?はる」
「椀の他に、鼠も無くなっています」
「紗江子は出ていったんだろ?」
「はい。奥様は朝方、実家のお父様が倒れられたと仰って。大奥様の形見の品に身を包んで出て行かれました」
「ついでに鼠を持って行ったか」
「…よろしいんですか?」
「かまわんさ。それで、喜与をはめたのは紗江子だったのか?」
「おそらく。階段に鑞が塗られてまして、それは旦那様が奥様に贈られた匂い鑞でした。紗江子様のお部屋に磨り減った鑞が隠してありました」
「そうか」
「…さしでがましいようですが、離縁はなされないので?」
 善右衛門の顔が善人のそれから、悪意に満ちたものに変わった。
「離縁などせん!あいつは一生飼い殺してやる!あいつを許す訳無いだろう。喜与にした仕打ちは償わせないとな。あいつの運は吸い尽くしてやる」
「はぁ…」
「なぁに、玄田家の物は一年もすればここに帰ってくる。あの金の椀は十二年に一度、この家から盗まれなければならないんだ。それが山神との取り決めだ。一年の間に人々の間を廻り、その運を吸ってくるんだ。椀には金の米粒があったろう?あれは椀が吸った人々の運だ。ここに戻ってくる頃には米粒はもっともっと増えているはずだ。玄田家の物を持った紗江子はズタボロになってここに戻ってくるだろう。ここに戻るしかないんだ」
 玄田善右衛門は薄く笑っている。
 十二年に一度盗まれなければならない家宝。この家の先祖はそんな契約を、いつどこで誰としたのだろう。訪れたモノ達は、そこらにいる妖魔とは桁違いに強く、禍々しかった。いつまでも対等につきあえるほど、人間は強くない。いつか、この家は、一族郎党全て飲み込まれるのではないかとはるは思った。
「しかし、善右衛門様、このまま、あの、山神と繋がりを持ち続けるおつもりですか?あの祭儀は…かなり難儀なものですよ。お嬢様があれを受け継ぐのは酷ではないですか?喜代さんはもう高齢ですし」
 善右衛門の表情が揺らぐ。
「はるはこのまま仕えてもらえないのか?」
「残念ですが。今回は喜代さんのたっての希望で執り行わせていただきましたが、本来の私の仕事ではありませんので」
「…。一二年後、また依頼したら、どうだ?」
「私が生きていましたら」
「…」
「人外を相手にしておりますので、いつ命を落とすかわかりません。一二年後、私が生きており、巡り合わせがあれば」
「たのむ」
 善右衛門が頭を下げようとするのを、はるは制止した。
「では、お暇いたします」
 はるは一礼し、部屋を出た。

 それから一年ほど経った頃、風の噂に玄田家の後妻が戻ってきたと聞いた。善右衛門は咎めもせず、笑顔で迎えたということだった。
Copyright(C)2017 是意亜天 All rights reserved.初出 月夜飛行2016年5月発行 改訂 2017年1月
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