冬の宴

冬の宴

 大晦日に大雪が降った。
 雪が降り積もる山間の小さな駅に列車が停まり、男が一人降りてきた。
 乗降場はその男の他は誰もおらず、ひっそりとしている。港町に向かう下りの列車に乗る者は一人もいないようだった。
 男は足早に改札を抜けた。分厚いコートの襟を立てた駅員も、切符を受け取ると足早に駅舎に引っ込んでいく。男は商店街のある下り道には行かず、丘の上を目指した。
 雪は止んでいた。
 丘を登り切る手前で、大きな屋敷が見えてくる。白壁の高い塀に囲まれ、その塀から覗く大きな倉が三つ。その壁面に、丸い円とその中に『玄』と書いた印がある。玄田家の紋だ。
 もう夕刻だというのに門は大きく開かれていた。門松も何の飾りも無く、ひっそりと静まりかえっている。雪が周りの音を吸収しているのか、風の音もしない。
 男は一瞬臆したように身震いしたが、意を決したように門の中に入っていった。
 門からは飛び石で玄関に続き、飛び石は途中で二手に分かれ、右手に行けば生け垣に囲まれた庭園に続いているようだった。
 母屋はこの辺りには珍しい洋館と日本古来の建物の折衷様式で、入り口は両開きの引き戸だったが色ガラスが嵌めてある。
 玄関脇の突起を押すと、中の方から小さくベルが鳴ったような音が聞こえた。
 少し待つと扉が開かれ、若い女中が現れた。一瞬驚いた表情を見せたが、しっかりした声で尋ねる。
「いらっしゃいませ。…あの…どちら様でしょうか?」
 男は鳥打ち帽を脱いで頭を下げた。
「八幡の方から来た鈴木といいます。あの…ご主人の、玄田善右衛門さんはいらっしゃいますか?」
「あいにく出ておりますが」
 女中の言葉に男は狼狽した。必死の声で言いつのる。
「え?ええっ?あ、あの、商売のことで善右衛門様にご相談しておりまして、本日、お話を聞いていただくことになっていたんですが。七日の冨有祭りの屋台のことで焦っておりまして」
「今朝ほど、その冨有祭りの件で出まして…」
 男は苦渋に満ちた顔で嘆息した。
「入れ違いでしたか…」
「明日朝には帰ると思いますが」
「そうですか…」
「では、そういうことで」
 いきなり女中が扉を閉めようとした。
「あ!ちょっと!ちょっと!」
 男が慌てて扉に手を掛ける。
「当主もおりませんし、出直しください!」
「申し訳ありませんが!一晩泊めていただけませんか!」
「は?」
「大雪で難儀しております!今夜だけ!今夜だけでいいですから!」
 男は必死で言いつのる。
「今夜が無理なんです!」
「どうしました?」
 不意に奥から声がして、若い女が現れた。
「あ、奥様。こちらの鈴木様が突然旦那様を訪ねてこられて…」
 女中が困惑したように言う。その時、突風が吹いた。
 止んでいた雪が降り始めたらしい。吹雪が積もった雪も巻き上げて、真っ白い風が扉の隙間から室内に吹き込み、女中が一瞬躊躇した隙に男は家に入り込んだ。
「ご迷惑なのは理解しておりますが、何卒!何卒!お願いします!」
 男は土下座でもしそうな勢いだ。
「そうですね…」
 若い女が言いよどんだ。
「主人のお客様を無下にはできませんし。はる、お客様を客間にご案内してあげなさい」
「しかし、奥様、今夜は…」
「分かってます。はる。お客様、生憎、使用人達は正月休みで、このはるの他はおりません。お世話する者がおりませんので歓待はできませんが、それでよろしければ」
「けっこうです!けっこうです!今夜の宿さえお借り出来れば!」
 男は何度も頭を下げた。
「ただし、条件がございます。今夜一晩は、絶対客間から出ないでもらえますか?」
「は?はぁ…」
「それをお守りいただけるのなら…」
「大丈夫です!助かった…」
 安堵の息をつく男を置いて若い女は家の奥に去り、はると呼ばれた女中だけが残った。
「鈴木様。ではお部屋にご案内いたします。どうぞ」
 屋敷の中はひっそりと静まりかえっていた。人の気配は全く無かった。年若い妻とこの女中の他には誰もいないと言うのは本当らしい。
 荷物を女中が持ち、二階に上がったので男もそれに従った。二階は階段を隔てて両側に三つずつ、合計六つの部屋があるようだった。
「全部…客間ですか?」
 一番奥の部屋に入りながら男が尋ねた。
「はい。旦那様は商売柄、会合が多いですし、このお屋敷で会合を開くこともあります。そういう時はお泊まりいただくこともありますから。あの…」
「はい?」
「先ほど言いましたように、このお屋敷には今は若奥様と私しかおりません。食事は私たちと同じものになります」
「分かってます!食事なんかいりませんから!あの…お茶さえいただければ!」
「いえ、お茶もお食事も私がこの部屋にお持ちします。部屋からは出ないようにお願いいたします。特に十時を過ぎてからは絶対に出ないようお願いいたします」
「…は…はい。わかりました」
「では、失礼します」
 女中は一礼して部屋を出ていった。
 男は窓に寄り、カーテンを少し開いた。
 眼下には庭園が広がっているはずだったが、闇が見えるばかりだった。
「寒いな…」
 男はひとりごちた。

 深夜になり、男はベッドから降りると靴は履かず、靴下の上に更に靴下を履いた。手袋をはめて部屋を出る。
 暗闇の中を静かに階段を下り、屋敷の奥に向かう。
 上がり框があり、そこから靴を脱ぐようだったが、男はかまわずそのまま上がり込んだ。
 男の足取りは確かだ。あらかじめ間取りを知っているようだった。
 いくつか部屋を過ぎ、襖の並んだ大きな部屋の前を通る。広間の前の長い廊下を行くと奥に一際重厚な扉があり、男はその扉のドアノブを握りゆっくり回した。
 カチリと小さな音がしてドアは開いた。
 男は部屋に入ると後ろ手にドアを閉め、ポケットから懐中電灯を出し、灯した。
 部屋は当主玄田善右衛門の書斎のようだった。
 大きな机と重厚な調度品が並んでいる。出窓には厚いカーテンがかかり、カーテンの前には小さな金屏風と朱漆の盆が飾ってある。朱い盆の上には小さな金細工があった。十二支を模しているらしい愛らしい小動物が並び、中央には金の米粒で満ちた金の椀があった。
 男は持参していた革袋に、迷わず金の椀だけ入れると、身を翻した。
 部屋を出て、広間の前の長い襖の前の長い廊下を歩いていると、前方から光が来るのが見えた。
 男は焦った。
「くそっ。夜になったら誰も部屋から出ないんじゃなかったのかよ…」
 男は息を潜めたまま襖を静かに開けると、広間にするりと入り込んだ。
 足音が近づいてくる。が、それは何事もなく通り過ぎ、奥の部屋に向かったようだった。
「…脅かしやがって。くそが…」
 先ほどと違い、男に酷薄そうな表情が浮かんでいる。口汚く、小さく毒づいた。
 少し安堵すると先ほどの獲物が気になった。全部、黄金でできているという話だったがどうだろう?黄金の椀の中の、山盛りに盛られた米粒も全部黄金だと。ずっしり重い革袋を少し開き、手を入れる。冷たい感触に少し心躍る。どれだけの価値があるのか。
 不意に奥の部屋の扉が開く音がして、足音が聞こえた。
「しまった」
 男は革袋を閉めると懐に入れた。
 足音がする。なぁに、あれをやり過ごしてから部屋に戻ればいいさ。男は息を潜めながら考えた。
 しかし足音は広間の前に来ると、止まった。
 男は息を呑んだ。
 襖が開く。行灯を持った女中のはるだった。
「お客様!」
 女中が声を上げた。
 男は実力行使するか、誤魔化すか瞬時に考えた。こんな少女一人ならいつでもどうにでもできる。男は誤魔化すことにした。
「す…すいません!喉が渇いて台所を探していたらこんな所に…!」
 女中は男の言い訳など無視して行灯で部屋の奥を照らした。大きな振り子時計があり、それはもうすぐ零時を指そうとしていた。
「時間がありません」
 女中は言った。
 すばやく広間を廻ると一二個ある行灯に灯を点け、広間は一気に明るくなった。
 男は驚愕した。
 広間には一二の膳が並んでいた。
 汁椀、鯛の塩焼き、酢の物、茶碗に山盛りに盛られた白飯に丹塗りの箸、そして酒。いつでも客人をもてなせるように並んでいる。
「どういう…ことだ…?」
「お客様が来られます」
「え?」
「あなたではありません。明日は山から歳神様が降りてこられる日なのです。いえ、もう今日になりました」
 柱時計が鳴り始めた。
「あなたには宴に参加して貰います。私達は彼等をもてなさねばなりません」
「はぁ?何言ってやがる!そんなことはこの家の連中がすることだろうがぁ!」
 男は被っていた猫を振り捨て、ドスのきいた声をあげた。
「この家の者かどうは関係ありません。今、この場にいる者の勤めですから」
「なんだとぉ!」
 男は女中の腕を掴み上げ、ようとした、が、彼女の手はそれより早く拳を握り、それを男の鳩尾に叩き込んだ。
「う!ご…」
 男は膝から落ちた。見た目の少女の力とは思えない強さだった。
「来られました」
 女中は静かに言った。
 遠くから足音が聞こえた。ずるずると引きずるような重い足音、ひたひたと湿った足音、かさかさした軽い足音、いくつもの足音が重なった音が近づいてくる。
 しかし、声は聞こえない。
 同時に何とも言えない臭いがして、男の身体に緊張が走った。
 こんな気配を男は知っていた。
 危険だ。これは危険だ。盗人稼業では命の危険が迫る事が何度かあった。それはこんな気配の時だ。それに気付いて逃げおおす事で今まで生きてこられたのだ。
 逃げなければ!男は思った。
「笑ってください」
 女中が囁いた。
「は?何言ってるんだお前…」
「しっ!ここからは私の指示に従ってください。でなければ、あなたの命の保証はしかねます」
「!」
 嘘でも脅しでも無いことは男の本能が理解していた。
 女中も男の隣に、すっと座る。
「目を伏せてください。お客様を目の端に捕らえることはかまいませんが、まともに見ることは止めてください。それだけで不敬ですから、おそらくあなたは死ぬことになります」
「!」
 襖が開いた。背中に怖気が走った。男は顔を上げることができなかった。伏せた視野に、着物の裾からはみ出す獣毛の生えた足が見えた。鋭い爪が畳を噛み音を立てる。
 男は、産毛までそそけ立つのが分かった。
「コレを食べなさい」
 女中が小声でそう言いながら懐から干からびた何かを取り出し、男の手に渡した。
「笑い茸を干した物です。正気を保ちたいなら食べなさい」
 男の手が震えた。
「女中ヨ」
 不意に、最奥、上座に座った何者かが言った。地の底から響くような声だった。
「我等ノ他ノ、ソノ客人ハ誰ゾ」
 女中が平伏したまま言った。
「これは旅の幇間でございます。皆々様をお喜びさせようと志願した者です」
「なにぃ」
 小さく声を上げると、肘で思い切り突かれた。
「う」
 男が呻いた。
「死にたくなかったらこの場を盛り上げるんだよ!」
「な、何を言っている!お前!」
「この異常事態はわかっているんだろ?死ぬよ、あんた」
 女中の声も切羽詰まっている。男は息を呑んだ。
「幇間がこれから腹踊りをやります」
 女中が言った。
「な!んだと!」
 とたん、広間中から喜びの声が上がった。鋭い金切り声、低い地響きのような声、それらが合わさって身体全体を圧する。同時に生臭い臭いが立ち込め、吐き気をもよおした。
 女中は不意に立ち上がり、男の正面に立った。おもむろに懐から手拭いを出し、それで男の顔に目隠しする。
「何を!」
「お客人を見たら死ぬからね」
 言いながら男を立たせ、着物をはだけ上半身を露わにさせる。どさりと音を立てて革袋が落ち、男は焦ったが女中は取り合わない。女中はすばやく隅に置いてあった筆壺から筆を取ると、男の腹にへのへのもへじを書いた。
 それだけで、また、どっと声が上がった。
 女中は男の手を取り、広間中央に引っ張り出す。
「ま!待て!お前!」
 男は手を振り回し、女中を掴もうとするが、かなわなかった。足がもつれ、転ぶ。
 笑い声が上がった。
 男は必死で立ち上がり、あがき、転ぶ。その度に気味悪い笑い声が上がるのだった。
 不意に男に、理不尽な状況に対する怒りと憎悪が巻き起こる、が、湧いてきたのは笑い声だった。
「ははっはははっはははは!」
 息が切れるほど、笑いが溢れる。さっき囓った茸の成分が効いてきたらしい。
「こんな目に遭うんだったら来なかった!」
 笑いの合間に男が叫ぶ。脳裏にこれまでの経緯が蘇る。
 女とは五年前に一度会い一年前に再会した時、女の方から上手い儲け話があるとふっかけてきたのだ。たいそうな金持ちがいて、正月には人払いをして、屋敷には年老いた女中一人しかいなくなるというのだ。しかも正月の夜は何があっても部屋から出てはいけないというしきたりがあり、屋敷中盗み放題だと。その屋敷には正月しか飾られない黄金の家宝が有り、それを売れば一生遊んで暮らせるだろうと。
 笑い声がそれに応える。
「あのクソ女に騙された!」
 男の叫びに、笑い声が囃し立てる。
「正月には誰もいなくなるから盗り放題だと言いやがったんだ!あいつが!」
 やんややんやと声が上がる。
「あいつが悪いんだ!俺じゃねぇ!」
 笑い声が続く。
「あの時もそうだ!俺は殺したくなかったのに、あいつが唆しやがったんだ!」
 どっと笑い声が起こった。
「子供二人くらい簡単だってよぉ!」
 男は過去の悪行を大声で笑い叫びながら狂ったようにあがく。広間中の笑い声が男の身体に絡みつくようにまとわりつく。
「おごぉ!」
 不意に男が昏倒した。薬が効きすぎたらしい。
 この日一番の歓声が上がったが、男がそれを聞くことはなかった。

 朝一番の汽車に飛び乗った男は、山間の小さな町から離れた都会のカフェにいた。
 タバコの吸い殻が灰皿にうずたかく積まれている。
 男は険しい顔でひっきりなしに貧乏揺すりをしながらタバコを吸っているのだ。
 カフェの女給が何度か注文を取りに寄ってきたが、男はその度睨み付け、灰皿も代えないまま座り続けていた。誰かを待っているようだった。
 昼過ぎ、カフェの入り口の扉が開き、からんころんとドアに付けられた鐘が鳴った。
「お待たせ」
 入ってきた着物姿の若い女が、男の正面に座る。
「お待たせじゃねぇ!」
 男は声は殺しているが、物凄い形相で女を睨む。しかし女はそれに臆しもしない。女給を呼びつけると珈琲を一杯注文した。
「首尾はどうだったんだい?」
 女が尋ねた。
「どうだったじゃねぇよ!なんだ!あの化け物は!」
「化け物?」
「そうだよ!化け物の群れがいたんだよ!あの屋敷には!」
「ふうん」
「知らなかったってのか?」
「知らないよ。でも確かに辛気くさくて気味悪い屋敷だったよ、あそこは。で、ちゃんと手に入れたんだろうね?アレ。確かに盆の上には無かったけどさ」
 玄田家では見せないはすっぱな物言いで女は言った。
「あ…ああ。ここにある」
 女に会って安堵したのか、男は少し落ち着いて、鞄から革袋を取り出すとテーブルの上に置いた。どさりと、大きさに似合わない重量感のある音がした。
 女はにこりと笑った。
「で、どうするんだ。お前。屋敷に戻るのか?」
「戻る訳ないだろ?あんな田舎」
 女は吐き捨てるように言う。
「お宝を頂いたら用済みさ。頂ける物は全部頂いてきたしね。本物の西陣だよ、これ。それにこの宝石、この大きさの物なんてそうそうないよ」
 そう言って着物や帯留めを男に見せつける。そして懐から小さなネズミの金細工を取り出した。
「お!それは!」
 男には見覚えがあった。
「ふふん。あたしはネズミ年だからね。頂いてきてやった」
「おまえ!おまえが盗めるんなら俺がわざわざ行くことなかったじゃねぇか!」
「朝、あんたの手抜かりがないか確認に行っただけなんだよ。それが、こいつを見たら、やたら欲しくなっちまった」
 言いながらそれを弄ぶ。
「痛っ!」
 女が小さく声を上げ、金細工を取り落とした。それはテーブルを転がり床に落ちた。女の指先には小さく血が滲んでいる。
「ネズミに噛まれたんじゃないのか?」
 からかうように男が言う。
「何馬鹿な事言ってンだよ!早く拾いなよ!」
 女は男の足を蹴り、自らも屈んでテーブルの下を探す。
 女の足下にそれはあり、女はそれを取り上げた。
「あった!あった!」
 嬉しげに言って、またそれを弄ぶ。
「痛っ!」
 女がまたネズミを取り落とした。しかし今度は床に落ちず、テーブルの上で女に顔を向けて止まった。まるで意思があるモノのようだった。
 そして、女の指には、二つ、小さく噛まれたような傷がある。
「なんだい、これは」
 女は気味悪げに言った。
「まあまあ、すぐに売っぱらちまえばいいことさ。けっこう良い値がつくんじゃねぇか?」
 男がとりなすように言う。
「まぁ、それもそうだね。昨夜は寝てないから疲れてるんだ」
 女はそう言いながら懐紙を取り出してソレを包み、さらに手拭いにはさんで鞄にしまった。
「それより、これからどうする?」
 珈琲を飲み干し、女が言う。
「料亭で祝杯を挙げるか?このまま温泉街にでもしゃれこむか?」
 男がにやつきながら答えた。
「いいねぇ!」
 二人は和気藹々と立ち上がりカフェーを出た。
 これからの悲惨な末路など、一欠片も思いもしなかった。
 
Copyright(C)2017 是意亜天 All rights reserved.初出 月夜飛行2016年5月発行 改訂 2017年1月
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